「鎌倉殿の13人」刻々と近づく1月27日。『吾妻鏡』をたどり、第44回放送「審判の日」を予習

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「鎌倉殿の13人」刻々と近づく1月27日。『吾妻鏡』をたどり、第44回放送「審判の日」を予習

源実朝(演:柿澤勇人)の養子発言により、朝廷から頼仁親王(よりひとしんのう。後鳥羽上皇の皇子)を迎える話が進む鎌倉。

鎌倉殿を継ぐため修行から戻った公暁(演:寛一郎)は納得が行きません。しかも乳父の三浦義村(演:山本耕史)にそそのかされて実朝への復讐を企むことに。

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第44回放送は「審判の日」。来る建保7年(1219年)1月27日に向けたそれぞれの足取りを、鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』はどのように伝えているのでしょうか。

果たして審判は誰が誰に下すのか。今週も予習していきましょう。

公暁と駒若丸の動き

「また一からやり直しだ」

大河ドラマではちょくちょく禁を破って抜け出し、一向に進まない公暁の千日参籠。この調子では、いつまで経っても終わらなさそうですね。

しかし『吾妻鏡』では建保5年(1217年)10月11日に籠り始めて以来、ずっと真面目にやっています(少なくとも抜け出した記録はありません)。

実際には真面目に祈祷していた(であろう)公暁(イメージ)

そんな中、公暁の弟子であり乳兄弟(乳父・義村の子)でもある駒若丸(演:込江大牙)がちょっとした騒ぎを惹き起こします。

……鶴岳宮騒動。因茲。關左衛門尉政綱。若狹兵衛尉忠季等。爲御使馳參宮寺。尋子細之處。宿直之輩候廻廊。而兒童若僧等徘徊明月。彼宿直人見無礼之故。起鬪諍。爲少生被打擲云々。

※『吾妻鏡』建保6年(1218年)9月13日条

【意訳】鶴岡八幡宮寺の境内で騒動が起こった。関政綱(せき まさつな)と若狭忠季(わかさ ただすえ)が駆けつけ、事情を聴取したところ、以下のように供述。

宿直の者曰く「名月に浮かれて稚児や若い僧侶らが境内を散歩しており、警護当番が注意したところ逆ギレし、殴られた」とのこと。

まったく血気盛んなことで、取り調べを進めると最初に手を出したのは駒若丸と判明しました。

晴。以金窪兵衛尉行親爲御使。被糺明去夜宮寺狼藉事。是三浦左衛門尉義村子息駒若丸〔光村是也〕爲張本云々。謂。件宿直人者。右大將家御時。敬神之餘。以恪勤〔号小侍〕等結番之。毎夜所被警固宮中也。其儀于今不怠之處。逢耻辱之間。向後可停止此事之由被定下。於駒若丸者。被止出仕云々。

※『吾妻鏡』建保6年(1218年)9月14日条

【意訳】金窪行親(かなくぼ ゆきちか)に取り調べさせた結果、昨晩の狼藉は駒若丸が張本人と判明。

実朝は「亡き頼朝様の時代から、八幡様へ信仰心から始まった有志の奉仕なのに、こんな恥辱を受けるようなら今後はやめよう」と指示した。

鎌倉殿と八幡様の絆を台無しにしてしまったことにより、駒若丸は出仕を止められる謹慎処分が下されます。

その後、駒若丸が『吾妻鏡』に登場するのは2年後の承久2年(1220年)12月1日(すでに元服して三浦光村に改名)。もしこの期間ずっと謹慎していたとすれば、公暁が惹き起こした例の事件には全く関与していないことに。

しかし大河ドラマではそれだと面白くないので、何かしらの形で公暁を助けるものと予想されます。公暁と父・義村の橋渡し役として活躍に期待です。

髪も伸びっぱなしの公暁(イメージ)

さて、その公暁は相も変わらず籠りっきりで、ひたすら願掛けを続けていました。一心不乱のあまり頭髪も剃らず、異形の様相を呈したと言います。

霽。鶴岳別當參籠宮寺。更不被退出。被致數ケ祈請。都以無除髪之儀。人恠之。又以白河左衛門尉義典。爲奉幣于太神宮令進發。其外諸社被立使節之由。今日披露于御所中云々。

※『吾妻鏡』建保6年(1218年)12月5日条

【意訳】晴れ。公暁はずっと籠りっきりで祈祷を続けている。頭髪も剃らず人々が怪しんでいる中、白河義典(しらかわ よしのり)を伊勢の神宮へ派遣したほか、各所へ使者を出したことが報告された。

果たして公暁が何を祈祷しているのか……実に不穏な空気が漂うのでした。この時点で何か感じそうなものですが、それともあえて泳がせていたのでしょうか。

義時の夢枕に立ったのは

さて、このころ義時は夢のお告げによって大倉に薬師如来を祀る新御堂を建立。これが現代の覚園寺(かくおんじ)となります。

晴。右京兆依靈夢所令草創給之大倉新御堂被安置藥師如來像〔雲慶奉造之〕。今日被遂供養。導師莊嚴房律師行勇。咒願圓如房阿闍梨遍曜。堂達頓覺房良喜〔若宮供僧〕也。施主并室家等坐簾中。相州。式部大夫。陸奥次郎朝時被坐正面廣廂。信濃守行光。大夫判官行村。大夫判官景廉已下御家人爲結縁群參。源筑後前司頼時。美作左近大夫朝親。三條左近藏人親實。伊賀左近藏人仲能。安藝權守範高等爲布施取。各參候于堂南假屋。戌剋事終。導師已下被引御布施。

※『吾妻鏡』建保6年(1218年)12月2日条

薬師如来像(イメージ)

【意訳】晴れ。義時は運慶(演:相島一之)に造らせた薬師如来像を大倉新御堂(現:覚園寺)に安置。供養を行なった。
導師:荘厳房律師退耕行勇(しょうごんぼうりっし たいこうぎょうゆう)
呪願:円如房阿闍梨遍曜(えんにょぼうあじゃり へんよう)
堂達:頓覚房良喜(とんかくぼう りょうき)

施主の義時とその妻は御簾の中に着席、北条時房(相州)・北条泰時(式部大夫)・北条朝時(陸奥次郎)は正面の濡れ縁に着席。

ほか二階堂行光(にかいどう ゆきみつ。二階堂行政の子)・二階堂行村(ゆきむら。同じく)・加藤景廉(かとう かげかど)らが結縁に集まる。

また源頼時(みなもとの よりとき)・美作朝親(みまさか ともちか)・三条親実(さんじょう ちかざね)・伊賀仲能(いが なかよし)・安芸範高(あき のりたか)らがお布施を渡す役目を務め、戌の刻(午後8:00ごろ)につつがなく終了した。

夢のお告げとは7月9日、薬師如来を守る戌神(いぬがみ。跋折羅大将)が義時の夢枕に立ってこう言ったそうです。

伐折羅大将(寺伝による)。新薬師寺十二神将像(国宝)より

「今年の参拝は無事だったが、来年の参拝にはお供すべきではない(今年の拝賀は無事。明年の拝賀の日、供奉せしめ給うなかれ)」

かねて薬師如来を信仰してきた義時は、このことに思い立って薬師堂の建立を命じました。すると時房と泰時が反対します。

「何かと物入りなところへ、更に民の負担を増すのはよろしくありません」

しかし義時はこれを強行。私的なことであるから当然自腹だ文句あるかの精神ですね。

ちなみに薬師如来の別名は医王善逝(いおうぜんせい)。医王と言えば、前に実朝が前世で修行していたという宋の医王山(いおうざん)を思い出します。

実朝が薬師如来で義時がその守護神……何か関係があるのでしょうか。あるかも知れませんね。

不吉すぎ!鳩を叩き殺す小童の夢

夢と言えば、源頼茂(みなもとの よりもち。源頼政の孫)がこんな夢を見たと言います。

右馬權頭頼茂朝臣參籠于鶴岡宮。去夜跪拝殿。奉法施之際。一瞬眠中。鳩一羽居典厩之前。小童一人在其傍。小時童取杖打殺彼鳩。次打典厩狩衣袖。成奇異思曙之處。今朝廟庭有死鳩。見人怪之。頼茂朝臣依申事由有御占。泰貞宣賢等申不快之趣云々。

※『吾妻鏡』建保7年(1219年)1月25日条

頼茂が鶴岡八幡宮寺にお籠りで祈祷していた夜のこと。疲れが溜まっていたようで、一瞬だけトリップしてしまいました。

鳩は八幡様のお使い(イメージ)

すると、目の前に一羽の鳩が現れたと思ったら、そばにいた小童がこの鳩を叩き殺してしまいます。

更には頼茂へも殴りかかってきたところで目が覚めました。何とも嫌な夢に夜が明けたところ、境内に鳩が死んでいるのを発見。

何とも不吉だと思って陰陽師の安倍泰貞(あべ やすさだ)と安倍宣賢(のぶかた)に占わせたら、やはり「不快(不吉)」の結果が出ました。

鳩は八幡大菩薩のお使い。それを叩き殺した小童は何の暗示なのか……歴史の結果を知らない当時の人々は、一体どんな災厄が降りかかるか戦々恐々としたことでしょう。

なお、この頼茂は実朝の死後に鎌倉殿を継ごうと京都で謀叛の兵を起こしていますが、今回の夢が何か影響を与えているのかも気になるところです。

終わりに

そして迎える1月27日。当日は晴れていたところ、夜になって雪が降ってきました。

「雪の日に出歩くな」「運命に逆らうな」

雪の日に出歩いてしまう実朝(イメージ)松岡映丘「右大臣実朝」

歩き巫女(演:大竹しのぶ)の忠告に反して、鶴岡八幡宮寺へ拝賀に向かう実朝。それを守るべき義時と義村、実朝を狙う公暁たちが、果たしてどのように絡み合うのでしょうか。

鎌倉史上でも屈指の大事件がどのように描かれるのか、三谷幸喜のアレンジに注目が集まります。

※参考文献:

五味文彦ら編『現代語訳 吾妻鏡8 承久の乱』吉川弘文館、2010年4月 三谷幸喜『NHK大河ドラマ・ガイド 鎌倉殿の13人 完結編』NHK出版・2022年10月

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