学問大好きの徳川家康は出版人だった!家康が用いた木活字が残る京都の寺院「圓光寺」。【どうする家康】

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学問大好きの徳川家康は出版人だった!家康が用いた木活字が残る京都の寺院「圓光寺」。【どうする家康】

徳川家康は無類の学問好きとして知られていました。そして、家康は伏見城・江戸城・駿府城に多くの書籍を収蔵し、その出版を積極的に進めたのです。

今回は、徳川家康を開基とし、家康が出版に用いた木活字を所蔵する京都一条寺の「圓光寺」をご紹介します。

徳川家康[写真:Wikipedia]

木活字を用いて多数の書籍を出版した家康

徳川家康は、林羅山らから学んだ孔子の思想「四書五経」を道徳の根源とし、儒学の教えで江戸幕府の支配体制を堅固なものとしました。

さらに、世界情報と地理学・数学・天文学を、イギリス人航海士のアダムズから学ぶほどの学問好きでした。

イエズス会の宣教師や朝鮮などからもたらされた活字印刷は、安土桃山時代に入ると、盛んに行われるようになります。

徳川家康は、伏見城・江戸城・駿府城に収蔵した書籍の出版を積極的に進めます。1599(慶長4)年~1606(慶長11)年にかけて、伏見において木活字(もくかつじ)、つまり木製の活字を用いて、多数の書物を出版したのでした。

学問所の圓光寺で圓光寺版という図書を出版

「圓光寺」は1601(慶長6)年に、徳川家康が足利学校の三要元佶を招いて伏見に学問所を開設したのを起源とする臨済宗南禅寺派の寺院。1667(寛文7)年になり伏見から現在地に移転しました。

三要元佶[写真:Wikipedia]

家康は、学問所であった「圓光寺」で、圓光寺版という図書を出版。今も同寺には、その当時の木活字が現存します。

禅の修行の過程を表わす池泉回遊式庭園

「圓光寺」は、江戸時代に作庭された書院前の池泉回遊式庭園で知られます。庭園は「十牛の庭」と呼ばれ、竹林と新緑、紅葉の名所として有名。特に紅葉は紅や黄に彩られるカエデの美しさに合わせ、庭を埋め尽くす散り紅葉でも知られます。

十牛の庭[写真:T.Takano]

「十牛」という庭の名の由来は、禅宗の修行の過程をスギ苔の庭に配した十個の牛の形の石になぞらえて表わしたもの。庭園に残る栖龍池は洛北周辺では最も古い池といわれます。

庭園の観賞ポイントは、書院の縁側に座りゆっくりと「十牛の庭」を眺めること。秋の紅葉シーズンは、反対方向から庭を覆うような紅いカエデと地面一面の散り紅葉越しに書院を眺めるのも良いでしょう。

十牛の庭[写真:T.Takano]

但し、11月12日(土)~12月4日(日) の紅葉特別拝観は、全ての期間を日時指定の予約制となっています。ホームページから予約を入れたうえで、伺うようにしましょう。

新緑も美しい十牛の庭[写真:T.Takano]

水琴窟の澄んだ音色に耳を傾ける

「圓光寺」には、庭園の他にも見どころがたくさん。裏山には、徳川家康を祀った東照宮。そして境内には、幕末の大老井伊直弼の生涯を描いた『花の生涯』(舟橋聖一著)のヒロイン村山たかの墓がひっそりと残ります。

水琴窟[写真:T.Takano]

また、庭の入口には水琴窟が設えられています。ゆったりとした気分で、琴の根色に似た、澄んだ音に耳を傾てみるのもまた一興です。

※圓光寺DETA
京都市左京区一乗寺小谷町13
交通:市バス「一乗寺下り松」から徒歩約7分

※参考文献
『歴史と文化を愉しむ 京都庭園ガイド』(京都歴史文化研究会著・メイツユニバーサルコンテンツ刊/高野晃彰・執筆編集)

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