茶屋四郎次郎って何した人?3世代にわたって徳川家康を支えた京都の豪商【どうする家康】 (3/4ページ)
慶長3年(1598)に豊臣秀吉が病死を機に、家康の権力が増大。それに伴い、清忠は京都と大坂の物流の取締役に任命されました。
また、関ヶ原の戦い後には京都の情勢が不安定であることを家康に報告し、それがきっかけで京都の治安維持を職務とした京都所司代が設置されました。清忠は京都町人頭に任命されます。
しかし、慶長8年(1603)に跡継ぎを残さないまま、病死しました。
3代目茶屋四郎次郎、茶屋清次病死した清忠に子がいなかったため、3代目茶屋四郎次郎となったのは清忠の弟・茶屋清次でした。元々長谷川藤広の養子でしたが、清忠急死で急遽茶屋家を継いでいます。
清次は、家康の後押しで慶長17年(1612)から朱印船貿易の特権を獲得。以後はベトナムとの貿易で巨万と富を得ました。
さらに、その富で茶道具をコレクションし、寛永の三筆の1人本阿弥光悦に芸術支援を行いました。