『ほんとにあった怖い話』映画監督・鶴田法男「Jホラー」を語る「中国では幽霊とか非現実的なものを認めない」
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インタビュー
僕は小学3年生のとき、家の廊下で、見知らぬ男が両親の部屋のふすまをスーッてすり抜けていく姿を見たんです。後ろ姿だったので顔は見えなかったのですが、あれは幽霊だったと今でも信じています。そんな体験がきっかけでホラーに向き合うようになり、ホラー映画の監督を務め、ありがたいことに、今では“Jホラーの父”なんて呼ばれるようになりました。
僕がホラーにこだわり続けるのは、人間は恐怖なくしては生きていけないと思うからです。たとえば、崖の縁を歩かないのは落ちるのが怖いと分かっているからで、そういう恐怖を理解している人のほうが絶対、生き残れると思うんです。ホラーに触れて、多くの人に、そうした生命力を養ってほしい、なんて思っています。
作品作りという点でいうと、監督って、何か特別な技術を持っているわけじゃないんですね。「こういう映画を撮りたい」という、プランを組み立てることが一番の仕事。そこで、技術のエキスパートである、カメラマン、音声さん、照明さん、俳優さんに、プランを伝えていくんです。
すると、彼らも考えやアイディアをもっているから、それを彼らなりに表現してくれる。僕一人の考えでは万人に届かなかった作品も、そうした研鑽の中で、1000人、1万人と多くの方に届くものになるんです。
だから、僕は彼らへの尊敬の念を忘れないように、現場に臨んでいます。坂本龍馬の言葉で「事は十中八九まで自らこれを行い、残り一、二を他に譲りて功をなさむべし」というのがあるけど、監督ってまさにそういうことなんだと、監督業を30年続けてきて、思うようになりました。
このたび、日本での公開が決まった最新作『戦慄のリンク』も、多くの協力があって完成した作品です。今作は中国で作られた作品なんですが、一番ありがたかったのは僕を誘ってくれたことですね。
■中国で上映されるまで3年もの歳月がかかりました
実は、中国って、ホラー映画がすごく少なくて、撮るのが難しいんですよ。というのも、中国共産党は幽霊とか非現実的なものを認めない、怪事件が起きても最終的には警察が解決しなきゃいけない、そんな決まりがあるんです。だから最初はこのオファーも半信半疑だったんですが、話を聞くうちに、そんな環境でも、“Jホラーの父”としての僕の才能を買ってくれた、中国映画人の心意気を感じて、それに応えたいと思って引き受けたんです。
ただ、撮影に入っても、言葉の壁もあるし、ホラー作品の知識の差はどうしようもなくて、難航する部分もありました。脚本段階や編集段階でも、何度も審査が入りましたからね。結局、完成して中国で上映されるまで3年もの歳月がかかりました。
その一方で、驚くことも多かったんです。一番驚いたのが、中国映画のお金のかけ方。中国映画の標準的な製作費って10億円で、日本だったら大作の域に入っちゃうくらいの規模なんですよ。病院1棟を屋内に作ってしまうくらいの巨大スタジオや、最新機材が十分にそろっているし、びっくりしましたね。それと、日本以外で映画を作って驚いたのが、韓国、インド、タイなどのアジアの映画人が中国に来ていたこと。最初から国を越えて世界を視野に入れて映画を作ってるんです。
今回の経験を受けて、日本の映画界は、自国のマーケットを重視しすぎだと感じましたね。これからは日本もそういったこだわりは捨てて、垣根を越えて多くの国と交流し、資金や人材をサポートしあうことが重要なんじゃないかと、一映画人として思っています。それができれば、それこそEUみたいな感じで、アジア映画という大きな集合体は、ハリウッドに対抗できると思います。もちろん自分も、そういう仕組みに加わることができれば、うれしいですね。
そのためにも、今自分にできる、ホラーに向き合い、ホラーを提供することは続けていきたいです。
僕自身の今後の目標は、国境だけでなく映画という垣根を越えて、小説、舞台、テレビ……など、これからも、いろんなメディアで、良質なホラーを作って展開させていきたい、これに尽きますね。
鶴田法男(つるた・のりお)
1960年12月30日、東京都生まれ。大学卒業後にビデオメーカーの買つけ・宣伝、映画配給会社の宣伝を経て、1991年にオリジナルビデオ映画『ほんとにあった怖い話』で監督デビュー。以降、発表した作品の演出が、のちに『回路』(01年・黒沢清監督)などに影響を与えたことから“Jホラーの父”と呼ばれる。近年では監督業以外でジュブナイル小説『恐怖コレクター』シリーズで小説家としても活躍中。DVD『ほんとにあった怖い話・新装版』がマクザムより発売中。