山城国一揆って何?戦国時代前夜に農民たちが自治を勝ち取った画期的事件 (2/3ページ)
それに付き合わされて疲弊しきった人々は、紛争をやめさせようと一揆を起こして両軍と撤退要求を掲げて交渉を行います。
この交渉は難航したものの、三十六人衆と呼ばれる代表者が、守護に頼らずに自治支配を行うことで話がまとまり、両軍は兵を退くことになりました。
この自治支配の体制を惣国と言いますが、ただこの体制も問題がなかったわけではありませんでした。半済(はんぜい)という税制が採用されたことで、惣国の中でも亀裂が入る結果になったのです。
半済とは、住民が荘園の領主に納めていた年貢米のうち、半分を惣国の方に納めるという制度です。その分を国内運営にあてようという目論見だったのですが、これにより惣国内でも年貢米を取る者・取られる者という対立関係を生んでしまったのが問題でした。
