「いい顔してるね」と言われるような死に顔で死にたいものだ (2/3ページ)

心に残る家族葬

オリンピックやワールドカップ、駅伝。特に興味はなくても、たまたま観たらそのまま惹きつけられて最後まで観てしまうことがある。彼らの顔は実に「いい顔」をしている。勝った顔はもちろんだが、健闘空しく敗れた顔もいい。全力を尽くした汗と努力が滲み出る顔だ。あるアスリートを見た時などは、ルッキズム的に見れば個人的趣味とは全く相容れない造形だった。しかしメダルを取った時の顔は、眩しいほどに輝かしくとても美しく見えた。これが戦いの場を降りた素顔になるとまた以前と同じ印象になるのだから不思議なものである。

結婚式や出産など、人間は心底幸せな時もいい顔をする。「イケメン」ではなくても、やたら人を引きつける魅力のある人がいる。見た目はかっこよくなくても「いい顔してるね」と言いたくなる瞬間がある。やはり人間は顔である。造形の話ではない。一見、無感情な能面。これが能の名手にかかる複雑玄妙に変幻する。内なる人格や感情は外見に、顔に現れてくる。

■死に顔と遺影

私たちの最後の顔は死に顔ということになる。不幸にも事故や何かで遺体が帰らない場合もあり、元の姿とは言えない状態で発見されることもある。ほとんどの人は、できることなら安らかな表情で、家族からは「いい顔してる」「眠っているみたい」だと言われて見送られたいと思うだろう。それは遺された家族にとってもそうである。死に顔は死んでいるのだから内面も感情も無い。 しかしその顔には遺された人たちの思い出が投影され生前の記憶が浮かび上がっている。それが安らかな顔であるなら、悲嘆に暮れる家族にとっては慰めになるだろう。

私たちが仏壇に手を合わせる対象は何か。一様には言えないが、順番としては遺影、位牌、本尊といったところでないだろうか。本来仏壇の中で最も尊ばれるべきは鎮座する御本尊である。しかし私たちの多くは仏壇とはそこに眠る家族の家だと思っている。また、仏壇がなくても本尊がいなくても、遺影を飾っておけばそこが亡くなった人の居場所となる。そこにはその人の「顔」があるからだ。

■いい顔で死ぬ

人間の価値は顔に出る。そのためには「糞袋」としての顔には囚われず中身を磨いていくべきである。生前に徳を積めば「いい顔」になれるかもしれない。

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