大河ドラマでは割愛されたけど…今川義元も感激した松平元康の見事な初陣がコチラ【どうする家康】 (2/4ページ)
行々いかなる名将にかならせたまふらんと落涙してぞ感じける。又義元も初陣の御ふるまひを感じて。御舊領のうち山中三百貫の地をかへしまいらせ腰刀をまいらせたり……
※『東照宮御實紀 巻二 弘治三年-永禄二年』元康初陣より
【意訳】元康は義元の許可を得て再び三河国へ赴き、17歳で初陣を果たした。織田方の鈴木日向守重教(すずき ひゅうがのかみしげのり)が立て籠もる寺部城を攻めた際、軍議の場で曰く
「敵はこの寺部城だけではない。我らが前にのみ気をとられて、周囲の城から敵が後詰(※)にくれば、たちまち窮地に陥るだろう。そこで今回は枝葉を伐採し、後で根幹を倒す手がかりとするに留めよう」
(※)ごづめ。城を攻めている敵を背後から攻撃する(後ろから詰める)こと。またはそのための援軍。基本的に籠城戦は外部からの援軍(後詰)が来るまで持ちこたえ、城の内外より挟み撃ちするのが防御側のセオリー。
とのことで、寺部城下に火を放って引き揚げていった。この采配に酒井雅楽助正親(さかい うたのすけまさちか。酒井忠次の父)と石川安芸守清兼(いしかわ あきのかみきよかね。石川数正の祖父)は感激。
「我々は永年戦さに出てきたが、こんなに思慮深い若大将を見たことがない。これは後にどれほどの名将となられようか」
義元もこの報告を受けて大層感激。恩賞として松平家の旧領であった山中300貫(※)の知行を返還し、腰刀(太刀)を与えたのであった。
(※)銭300貫相当の年収が見込まれる土地。1貫は1,000文、1文≒100~120円の場合、約3,000~3,200万円の年収。ただし具体的な収穫量については土地によって差があるため厳密な面積は不明。
……ざっと以上ですが、これを読んで「うわっ…元康の初陣、地味すぎ…?」と思われた方がいるかも知れません。別に寺部城を攻略できてもいないのに、なぜそんなに感激するのか、などなど。
しかし考えてもみて下さい。