お市との愛を貫いた義の男・浅井長政。大貫勇輔が演じるその生涯とは【どうする家康】 (3/5ページ)
浅井長政とお市。仲睦まじかった二人の掛け軸は、それぞれ対に描かれている。高野山持明院像
……ごく駆け足で紹介するとこんな生涯でした。元は佐々木(六角)氏に仕えていた弱小勢力でしたが、やがて主君をしのいで近江一国を支配するまでに成長します。
お市との政略結婚で信長と連携したまではよかったのですが、織田・朝倉の対立に際して朝倉を選んだことが命取りとなりました。
更には裏切りに際して信長の背後を急襲したため、一度は勝利したものの(この時、信長・家康らの退却劇を「金ヶ崎の退口」と言います)、本腰を入れた信長には勝てません。最後は小谷城まで追い詰められて自刃。享年29歳でした。
死者を辱める信長の暴挙しかし信長の怒りはこれでは収まりません。あろうことか信長は、長政と朝倉義景の髑髏(ドクロ)を晒しものにしたそうです。
……信長卿御にくみや深かりけんこの長政の首と義景の首とを肉をさらし取朱ぬりに被成安土にて其翌年より正月の御禮に参上せらるゝ大名衆へ御盃の上に御肴にそ出にける……
※『浅井三代記』第十八
【意訳】信長の憎しみは深く、長政と義景の首から肉をこそぎ取り、その髑髏を朱塗りに。そして翌年の正月、安土へあいさつに参上した大名たちをもてなす酒席に肴として披露した。
一方『信長公記』では、父・久政の首級までも髑髏にしたと言います。