【どうする家康】実はまだ死んでない!元康に裏切られた吉良義昭(演:矢島健一)はその後どうなった?

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【どうする家康】実はまだ死んでない!元康に裏切られた吉良義昭(演:矢島健一)はその後どうなった?

「どうして、元康殿……」

松平元康(演:松本潤)の裏切りに遭い、居城を焼き落とされてしまった吉良義昭(演:矢島健一)。

吉良義昭の最期?(イメージ)

NHK大河ドラマ「どうする家康」第3回放送「三河平定戦」で威勢よく登場しながら、一回きりで即退場……と思いきや、実はその後も登場します。

果たして吉良義昭はその後どうなるのか、江戸幕府の公式記録『徳川実紀(東照宮御実紀)』をひもといてみましょう。

昨日の友も今日は敵……無常なる戦国の習い

永禄4年(1561年)、元康が織田信長(演:岡田准一)と同盟を結んだことにより、それまで共に今川氏真(演:溝端淳平)を支えていた僚友・吉良義昭と敵対することになりました。

……東條の吉良義昭今はまたく御敵となり。しばしば味方の兵と戦てやまざりしが。其弟荒川甲斐守頼持兄弟の中よからねば御味方となり。酒井雅楽助正親を己が西尾の城に引入れしかば。吉良も終には利を失ひ味方に降参す。

※『東照宮御実紀』巻二 永禄四年-同七年「永禄四年元康與信長同盟」

両軍がしばしば争う中、酒井正親(さかい まさちか。雅楽助)が一計を案じました。

「吉良の弟である荒川甲斐守(あらかわ かいのかみ。頼持)は兄と仲が悪いため、利益で釣って味方へ引き込みましょう」

弟の裏切りに敗北する吉良義昭(イメージ)

正親の誘いを受けた頼持はこれを快諾。形勢は完全に傾いて、9月13日に吉良義昭は元康に降伏します。

こう書くとあっさり撃破したみたいに感じますが、永禄4年(1561年)4月15日に起こった善明堤の合戦(愛知県豊田市)では一族の松平好景(よしかげ)を喪うなど油断のならない戦いでした。

三河一向一揆の混乱に乗じて挙兵するも……

さて、しばらくは大人しくしていた吉良義昭。しかし永禄6年(1563年)に三河一向一揆が勃発。一説には松平家臣団の約半分が寝返ってしまったとも言われる大混乱の中、どさくさに紛れて挙兵したのは言うまでもありません。

三河一向一揆の激闘。月岡芳年筆

……このさわぎに時を得て吉良義昭。荒川頼持。松平三蔵侑次。松平監物家次。松平七郎昌久等又叛逆してをのが城に立こもりしかど。かたはし攻おとされき……

※『東照宮御実紀』巻二 永禄七年―同十年「一向宗一揆」

共に決起したのは弟の荒川頼持、松平侑次(すけつぐ)、松平家次(いえつぐ)、松平昌久(演:角田晃広)。ただし力を合わせた訳ではなく、己が野心のためにめいめい暴れ回ったため、各個撃破されてしまったということです。

再び敗れた吉良義昭は赦免を乞うも許されず、三河を去って流浪の末に近江国(滋賀県)へたどり着き、そこで生涯を終えたと言います。

終わりに

義昭(よしあきら)

今川氏真がはからひにより、東條城にうつり住し、永禄四年東照宮兵を遣して、しばゝゞかの城をせめさせたまふ。義昭力つきて降をこひしにより、赦免ありて岡崎に居らしむ。六年一向専修の門徒等が為に、義昭主将となりてそむきたてまつりしにより、賊徒平治ののち、また東條の城をせめたまふ。この時義昭罪を謝し、降をこふといへどもゆるされず、近江国に出奔し、西條の流終にたゆ。

※『寛政重脩諸家譜』巻第九十二 清和源氏(義家流) 吉良

以上、吉良義昭のその後について紹介してきました。彼ら反対勢力の一掃により、家康は三河支配の基盤を固めていきます。

果たしてNHK大河ドラマ「どうする家康」では義昭がどんな悪あがk……もとい奮戦を魅せてくれるのか、今から楽しみですね!

※参考文献:

『NHK大河ドラマ・ガイド どうする家康 前編』NHK出版、2023年1月 『徳川實紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション 『寛政重脩諸家譜 第一輯』国立国会図書館デジタルコレクション

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