【三河一向一揆】家康のダジャレ?7×9=63で七九郎と改名した柴田重政の武勇伝【どうする家康】 (2/3ページ)

Japaaan

激しい戦さの最中だと言うのに、何とも牧歌的な時代ですね。

「ほう……これをすべて、孫七郎がのぅ」

徳川家康公。月岡芳年筆

家康は感心するやら呆れるやら。かねてこの日があろうとコツコツカリカリ矢柄に名前を彫っていた孫七郎の姿が、目に浮かぶようです。

「孫七郎よ。そなたの武功あっぱれなり。我が諱(いみな。実名、忌み名)より康の字を授けるゆえ、これからは柴田康政と名乗るがよい」

「ははあ、身に余る誉れ、ありがたき仕合せにございまする」

加えて矢の数にならい「六十三」をデザインした旗印を授かり、通称についても63=7×9で七九郎と改められたのでした。

終わりに

……この日柴田七九郎重政己が名を矢に彫て射たりしが。その矢に中り死するもの数十人。賊徒その精兵に感じ。重政が放ちし矢六十三すぢをとりあつめて御陣に送りしかば君御覧じて。御賞誉のあまり御諱の字賜ひ康政とめされ。六十三の文字を旗の紋とし。名をも矢の数にならひ七九郎とめされしなり。(東遷基業。岡崎記。貞享書上。

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