三河一向一揆で活躍見せる!家康を支えた家臣・土屋長吉重治とは?【どうする家康】 (2/3ページ)
先ほど記載した土屋重治の最後は、『寛政重修諸家譜』に記載されたもの。江戸幕府の公式史書である『徳川実紀』では、重治は当初一揆勢に加担したとの記録が残っています。
重治が一揆勢だったので、上和田砦に援軍として向かったのは徳川家康。家康は、その地で命の危機に瀕しますが、それを救ったのが重治でした。
そして、重治は一揆勢と交戦した末、矢を受けて戦死。家康は重治の死を惜しみ、戦死した地に手厚く葬りました。
重治の子どもたちのその後は?重治の死後、子たちの重信や重利、重成は変わらず徳川家に仕えました。しかし、重信は26歳の時に元亀元年(1570)の姉川の戦いで戦死。
続く重利は、天正8年(1580)の小山城攻めにおいて25歳で戦死し、重成は48歳で病死するという家族そろって若死にを遂げています。

