スピードワゴン・小沢一敬インタビュー「子どもの頃に麻雀を知ってから、ずっと麻雀と共に生きてきた」人生を麻雀に例えて悟る【人間力】

日刊大衆

小沢一敬(撮影・弦巻勝)
小沢一敬(撮影・弦巻勝)

 子どもの頃に麻雀を知ってから、ずっと麻雀と共に生きてきたような気がしていますし、多くのことを乗り越えてこられたと思っています。

 たとえば、麻雀では最初に牌が配られますよね。すると、ある程度できあがっている人もいれば、どうにもならない牌ばかりの人もいる。

 これって、人生のスタートとよく似てると思うんですよ。

 恵まれた環境で生まれるのは、配牌イーシャンテン、配牌テンパイみたいなもんで、もう上がりが決まってるじゃん、みたいなもの。でも、どうにもならない牌ばかりということもある。

 だけど、始めはどうにもならない牌ばかりだったとしても、5巡目には国士無双になっているかもしれない。クズ牌って言われるようなのを集めて、チートイツであがることだってできるかもしれない。

 どんな配牌でも、やりようによっては逆転できる可能性があるという考え方を、僕は麻雀から教わりました。そして、今日は負けたとしても、終わりじゃない。まだ続きがある、という考え方も。

 麻雀って人生そのものなんですよね……って、それっぽく言ってるだけのような気もしますけど(笑)。

 配られたカードと、その場の状況、そしてカケヒキという点では、ポーカーも似てますよね。僕はさまざまな業界から集まった人がポーカーで戦う『カケヒキ』(TOKYO MX)という番組でMCをさせていただいていますが、「カケヒキ」という言葉が特に好きですね。“カケる”という言葉だけでも“賭ける”“駆ける”“欠ける”“翔る”と、いろんな意味がある。面白いなぁ、と思いますよね。こういう言葉の意味、言葉遊びに興味を持ったのは、愛知県にいた10代の後半に、本ばかり読んでいた影響かもしれません。

■僕はこれまで自分から何かを「やりたい」と行動を起こしたことがないんです

 僕は高校を中退してしまったので、昼間は遊ぶ友達がいないんですよ。みんな学校に行っちゃってるから。暇だからずっと本を読んで、お金がなくなったら建築現場で穴を掘ったり鳶をやったりして、疲れたらやめてまた本を読むという生活でした。

 そんな生活を続けてハタチを過ぎた頃に、幼なじみと「オレたちこれからどうしよう?」みたいな話をしていたら、そいつが「名古屋に吉本興業の養成所ができるから、一緒に入ろうぜ」と言うんです。で、入ってみて知り合ったのが、相方の(井戸田)潤。

 1998年の12月11日に二人で上京し、銀座7丁目劇場という劇場に出ることになったんですが、なんとその年の大みそかに劇場が閉鎖。出る場所がなくなったので、相方があちこち電話しまくってライブに出て、縁あって現在の事務所に入れました。

 2001年に『M-1グランプリ』が始まるんですけど、僕は「お笑いは誰かと戦うもんじゃない」と出なかったんです。でも翌年、相方が「1回だけ出ようぜ」と熱心に言うので出てみたら、決勝に行けちゃった。ビックリですよね。

 ここまでの話を聞いて、お気づきの人もいるかと思いますが、僕はこれまで自分から何かを「やりたい」と行動を起こしたことがないんです。“カケる”で言うところの“賭ける”をやったことがない。

 でも結果的に“駆ける”はやっているかもしれないな、とも思います。よく「地に足をつけて」というけど、走ってる、駆けてると地に足はつかないんです。また気取ったことを言うけど(笑)。

 でも、ホントにそう思う。地に足をつけず、バーッと走って、どっかに行っちゃうような人生を送りたい。

 好きなことはやって、嫌いなことはやらない。だから、納豆は食べないし、バンジージャンプはやらない。

 麻雀もそう。捨て牌を並べる場所を「河」っていうけど、河の流れを止めたら濁るから、僕は止めない。そんなふうに生きていきたいと思っています。

小沢一敬(おざわ・かずひろ)
1973年10月10日生まれ。愛知県出身。98年に井戸田潤とコンビを結成し、スピードワゴンとして活動開始。2002年に『M-1グランプリ』の決勝に進出して注目を集め、多数のバラエティ番組に出演。

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