虚々実々!若き日の徳川家康が臨んだ「三方ヶ原の戦い」にまつわる逸話の真相は?【前編】 (2/3ページ)

Japaaan

甲府駅前の武田信玄像

まずこの時点での信玄の挙兵についてですが、これまでの通説では、彼は足利義昭の求めに応じて挙兵したとされてきました。

しかし実際には、当時はまだ信長と義昭ははっきりした形では対立していません(関係が冷え切ってはいたようですが)。信玄はあくまでも独自の判断で、織田信長を天下人にすべきではないと考えて、信長の同盟者である徳川の領地を攻めたという説もあります。

信玄を追う家康

さて、織田信長は武田信玄とも同盟を結んでいたので、徳川領への侵攻はまさに寝耳に水だったと言います。

信玄挙兵の報せを受けた信長は、さっそく家康に援軍を送ったものの、おそらく2万5千もの武田軍には敵わないと考えていたのでしょう、その援軍の戦力は必要最小限のものでした。

そして家康はと言えば、自らの居城である浜松城が攻められるとあたりをつけて籠城戦の準備を始めます。兵力差を考慮すると、真正面から衝突するよりもその方が戦術として最善だろうと判断したのです。

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