山県昌景の生まれ変わり?徳川家臣・本多信俊の息子に表れた“吉兆”とは【どうする家康】 (2/3ページ)
ありがとうございます」
「何じゃ、せっかく跡継ぎが生まれたのに、浮かぬ顔はどうした事じゃ」
「それが、実は……」
聞けばその男児は兎缺(みつくち。兎唇)とのこと。
上唇が接合しておらず、鼻孔と口腔がつながった状態(イメージ)
上唇の接合が未熟で兎のように裂け、それが三つの口に見えるから三ツ口と呼ばれたのでした。
現代なら施術すれば簡単に治りますが、外科手術の未発達な当時であれば、こうした子供は神仏の祟りなど不吉と信じられたのです。
「……それで浮かぬ顔をしておったのか」
「はい。日ごろ品行方正を心がけてはおったのですが、何の因果であのような子が……」
しょげ返る信俊を、家康は明るく励ましました。
「何を申すか。これは吉兆ぞ。武田の名将・山県三郎兵衛(昌景)は兎缺だったではないか。その子はきっと、長篠で討死した奴の魂が生まれ変わったに違いない」
家康はその子に本多山縣(やまがた)という名前を授けました。何だか苗字が二つ並んでコンビ名みたいですね。
やがて成長した本多山縣は元服して本多信勝(のぶかつ)と改名。家康の嫡男・徳川秀忠(ひでただ、台徳院)の小姓として重用されたのでした。