三方ヶ原で大勝利!しかし…武田信玄に馬場美濃守が呈した苦言とは【どうする家康】

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三方ヶ原で大勝利!しかし…武田信玄に馬場美濃守が呈した苦言とは【どうする家康】

「……時は今。この信玄、天下を鎮め、人の心を鎮めるため、都へ向かう。敵は、織田信長!」

※NHK大河ドラマ「どうする家康」第16回放送「信玄を怒らせるな」より

天下を乱す織田信長(演:岡田准一)を討つべく、上洛の大号令をかけた武田信玄(演:阿部寛)は、元亀3年(1572年)12月22日に「途上に転がる小石」こと徳川家康(演:松本潤)を撃破。これが後世に伝わる三方ヶ原の合戦です。

圧倒的大勝利を収めた信玄でしたが、武田家中にはそれを喜ばぬ者もおりました。

「……御屋形様。畏れながら申し上げます」

馬場美濃守(信房、信春)歌川貞秀筆

信玄に苦言を呈したのは武田家きっての勇将・馬場美濃守(ばば みののかみ。馬場信房、馬場信春)。果たして彼は何と言ったのでしょうか。

遠江一国に目が眩み、天下を見失った?

……また武田が家の侍大将馬場美濃守信房といふもの入道にむかひて。あはれ日の本に越後の上杉入道と   徳川殿ほどの弓取いまだ侍らじ。此たびの戦にうたれし三河武者。末がすゑまでもたゝかはざるは一人もなかるべし。その屍こなたにむかひたるはうつぶし。浜松の方にふしたるはのけざまなり。一年駿河をおそひ給ひし時。遠江の国をまたく   徳川殿にまいらせ。御ちなみをむすばれて先手をたのみ給ひなば。このごろは中国九国までも手にたつ人なく。やがて六十余州も大方事行て候はんものをといひけるとぞ。……

※『東照宮御実紀(徳川実紀)』巻二 元亀元年-同三年「三方原戦(大戦之二)」

「まったく、この日本国において、越後の上杉入道(上杉謙信)と、徳川殿ほどの弓取りはおりますまい」

「此度の戦で討死した三河武者どもは、将から雑兵にいたるまで戦わぬ者は一人もおりませなんだ」

「屍を見れば、頭がこちらを向いていた者は皆うつぶせ。逆に頭が浜松を向いていた者は、皆あおむけに死んでおり申した」

「つまり、誰一人として逃げ出すことなく死ぬまで戦った証しに他なりませぬ」

「美濃よ……そなた、何が言いたい」

苛立つ信玄に、馬場美濃は続けました。

「先に御屋形様が駿河を取られた際、徳川殿へ約束どおり遠江国を与えておけば、今ごろ力を合わせて中国・九州までも手に入れておったやも知れませぬな」

もし信玄と家康が組んでいたら、信長の天下は脅かされただろうか(イメージ)

武田と徳川の抗争は、元はと言えば信玄が遠江も(何なら三河も)手に入れようと欲を出して、盟約を違えたことが発端です。

「たかが遠江一国に目が眩んで、天下を見失われましたな」

三方ヶ原でこそ大勝利を収めたものの、家康が逃げ込んだ浜松城を攻め落とすほどの力はなかった(※)ため、ひとまず兵を退かざるを得なかった信玄。馬場美濃の苦言に返す言葉もなく、黙り込むばかりでした。

(※)ただ兵数で押せば勝てる野戦と異なり、攻城戦には鉄砲はじめカネのかかる兵器が欠かせませんが、武田軍は鉄砲を撃つ弾薬などが慢性的に欠乏していました。なので、他の城を攻め落とすにも犠牲の大きな力押しではなく、水の手を切るなど時間をかけています。

武田方の『甲陽軍鑑』にも記載

敗れこそしたものの、その剛勇と精強さを天下に知らしめた三河の徳川家臣団。

これを聞いて、中には「『徳川実紀』は江戸幕府の公式記録だから、徳川びいきに書いているんだろう」と思われる方がいるかも知れません。

しかし実はこのエピソード、武田方の『甲陽軍鑑』にもちゃんと残っているのです。

『甲陽軍鑑』を記したと伝わる高坂弾正昌信(春日虎綱)。歌川国芳筆

……馬場美濃、信玄公御前に於いて師走廿八日に申上て次に家康当年三十一歳なれ共日本国中に越後の輝虎三州の家康両人ならで剛の大将御座有間敷候、此度味方が原御合戦にうち死の三河武者下々迄勝負を仕らざるは一人もなく候、其證據は躰此方へころびたるはうつむきになり浜松のかたへころびたるは、あふむきになり中候、たけき武篇の家、和朝に上杉謙信徳川家康なり惣別五年以前駿河始めて御出陣の時遠州一国を無相違家康次第と被仰、御入魂の上御縁者などにあそばし和睦の儀有て家康御先を仕り候はゞ当年などは大方中国九国までも信玄公御手にたつ人なくして五三年の間に日本も大略物いひ御座有間敷候物をと馬場美濃守信玄公へ申上候以上……

※『甲陽軍鑑』品第卅九

まさに敵ながら天晴れと言ったところ。果たして家康が信玄と手を組んだかどうかはともかく、もし遠江を侵略さえしていなければ、可能性はあったかも知れませんね。

NHK大河ドラマ「どうする家康」では恐らく登場しないのでしょうが、武田家中には馬場美濃のみならず多くの名将たちが信玄を支えたことを知ってもらい、また彼らに興味を持ってもらえたら嬉しいです。

※参考文献:

『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション 『甲陽軍鑑』国立国会図書館デジタルコレクション

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