三方ヶ原の前哨戦!20倍超の武田軍を迎え撃った二俣城の攻防【どうする家康】
元亀3年(1572年)、天下の人心を鎮めるため上洛の兵を挙げた武田信玄(演:阿部寛)。
行く手に立ちはだかる徳川方の城を次々に攻略し、その矛先は遠江国の要衝である二俣城(静岡県浜松市)に及びました。
二俣城を守備するのは中根正照(なかね まさてる)・青木貞治(あおき さだはる)・松平康安(まつだいら やすやす)以下、兵はわずかに1,200。
迫り来る武田軍はおよそ27,000騎、実に20倍以上の兵力差です。
通常、城攻めには立て篭もる兵の3~5倍、多くて10倍ほどの兵力が必要とされます。
虎は兎一羽を狩るにも全力を尽くす、などとも言われますが、二俣城は武田軍に瞬殺されてしまうのでしょうか……?
一ヶ月以上にわたる籠城戦「……なかなか粘るのぅ」
信玄は10月16日に二俣城を包囲したものの、1ヶ月以上も落とせずにいました。
二俣城の守りが堅いのはもちろんのこと、武田軍には城攻めに有効な鉄砲などが十分に装備されていなかったのです。
この時点で信玄は、織田信長(演:岡田准一)によって経済封鎖を受けており、鉄砲の数はともかく撃つのに必要な弾薬が欠乏していました。
戦国時代の籠城戦は、まず火力(弓でも悪くはないけど射程や威力に難あり)で制空権を確保。上方からの攻撃を防いで石垣や土塁をよじ登ることで、門以外の多方向から攻め込むことが可能となった(イメージ)
数に任せて押しつぶすことも不可能ではありませんが、それをやったら損害が大きすぎて、上洛どころか浜松城にいる徳川家康(演:松本潤)さえ倒せないでしょう。
……そんな状態で、よく上洛しようと思いましたね?(だから信玄の挙兵は上洛目的でなく、あくまで遠江・三河の切り取りであったとする説もあるようです)
ともあれ、力攻めを諦めた信玄は二俣城の水を断つことにしました。
二俣城には井戸がなかったため、天竜川に面した崖から櫓を張り出し、その上から釣瓶で水を汲んでいたのです。
多くの筏を作って上流から流し、水汲み櫓の柱に当てて破壊するという実に回りくどい作戦を実行。
果たして作戦は成功、櫓は崩れ落ちて城兵は水を汲めなくなってしまいました。命中率や柱の耐久性を考えると、どれだけの筏を流したんでしょうね。
「さぁ、喉が渇いては戦もできまい?」
一方、中根正照らもこんな事態に備えて雨水を貯めておくなどしていたようです。それでも1,200名の水を供給するのは容易でなく、11月30日にとうとう開城を決断しました。
終わりに「我らに従うか、戻って再び我らと戦うか、選んでよいぞ」
中根正照・青木貞治・松平康安ら譜代の家臣は浜松へ逃げ帰り、城兵たちはほとんど信玄に臣従したと言います。
二俣城が陥落したことにより、遠江国内における徳川方の連携は寸断。それまでどっちに味方しようか迷っていた飯尾(いのお)・神尾(かみお)・奥山(おくやま)・天野(あまの)・貫名(ぬきな)ら国人衆はこぞって信玄に降伏しました。
「いささか手こずったが……これで残るは浜松のみぞ」
いよいよ浜松城へ迫る信玄。あとはいかにして家康を城から誘い出すか……12月22日の三方ヶ原合戦はもう目前です。
果たしてNHK大河ドラマ「どうする家康」では、二俣城の攻防戦も描かれるのでしょうか(さすがに「何やかんや」はないでしょうが、ナレーションやセリフだけで終わりそうな気もします)。
信玄と家康の全面対決がどのように描かれるのか、今から楽しみですね!
※参考文献:
本郷和人『徳川家康という人』河出新書、2022年10月 本多隆成『徳川家康の決断』中公新書、2022年10月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan