人間、謙虚さが一番。しかし…武士道バイブル『葉隠』が伝える大高慢のススメとは (2/3ページ)
……(続く)……
※『葉隠聞書』第一巻
むかし、宗龍寺(佐賀県佐賀市、曹洞宗)にいる江南和尚(こうなんおしょう)の元へ、美作守(多久茂辰か)や石田一鼎(いしだ いってい。石田宣之)ら学問仲間が訪ねて学問話に花を咲かせました。
しばらく黙って聞いていた江南和尚。やがて「皆さん、博識でいらっしゃいますな。しかし道に疎いことは凡人に劣るようです」とコメントします。
何だと、この腐れ坊主が……対抗心が鎌首をもたげた一鼎が「古の聖人君子より教えを学ぶほかに、道というものがあるのでしょうか」と反論しました。
要するに「聖賢の教えをよく学び、理解している自分たちが、道を知らぬということなどあるまい」と言いたいようです。
江南和尚は続けて言います。「なまじ知識をひけらかす手合いは、東を目指して西へ進んでいるようなもの。ますます道から遠ざかってしまうでしょう。書物の知識で自分をかさ上げしている内に、まるで古の聖人君子になったと勘違いして、周囲の者たちを虫けらのように見下しているのではありませんか?」
そんなことは……言葉を返せない一同。江南和尚の話は続きました。
「そもそも道とは、己の非すなわち至らなさを知る事である。常に我が身を未熟と知り、一生涯精進を怠らぬ振る舞いを道と言うのである。聖という字をヒジリと読むのは、まさに己が非を知る「非知り」に他ならぬ」
「お釈迦様は知非便捨(ちひびんしゃ)、すなわち非を知りいかにそれを捨てるか、を心がけてこそ己の道を成就できると説きなされた。我が身を顧みれば、たった一日の内でどれほどの欲望や悪心が湧き起こっていることか……それを忘れて悟ったような振る舞いは、思い上がりもはなはだしい!」
「「「参りました!」」」
自身の学識におごり高ぶって、すっかり他人を見下していた一鼎たちは、心から江南和尚に感服したということです。
吾は日本無双の勇士と思はねば……(続き)……然れども武篇は別筋なり。大高慢にて、吾は日本無双の勇士と思はねば、武勇をあらはすことはなりがたし。武勇をあらはす気の位これあるなり。口伝。