日本の代表的な古典芸能「人形浄瑠璃」と「文楽」は同じもの?違うもの?その歴史をたどる

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日本の代表的な古典芸能「人形浄瑠璃」と「文楽」は同じもの?違うもの?その歴史をたどる

人形浄瑠璃と文楽

人形浄瑠璃文楽は、日本の古典芸能の中でもとくに有名ですが、どこか敷居が高いイメージがありますね。

いずれも人形を操って演劇を行う点は同じですが、それぞれルーツは異なっています。人形浄瑠璃は三味線や人形芝居、浄瑠璃などの芸事が合体して江戸時代初期にできあがったものです。

浄瑠璃人形

一方、文楽は人形浄瑠璃をルーツに持ち、もともとは人形浄瑠璃文楽と言いました。こちらが成立したのは大阪です。

そもそも浄瑠璃は、伴奏楽器に三味線を使う音曲・劇場音楽のことで、歌われる詞章が単なる「歌」ではなくキャラクターのセリフや仕草・演技の描写も含むものです。よって浄瑠璃の口演は「歌う」ものではなく「語る」ものとされ、浄瑠璃系統の音曲をまとめて語り物と呼ぶのはこのためです。

そして人形浄瑠璃は、浄瑠璃を「語る」太夫と三味線遣いと人形遣いの「三業(さんごう)」によって行われる高度な総合舞台芸術で、日本の伝統芸能としてユネスコの無形文化遺産にも登録されています。

人気と衰退

かつて、人形浄瑠璃は大変な人気でした。1683(天和3)年に竹本義太夫が大阪で竹本座を開設し、劇作家の近松門左衛門と組んで興行を開始すると、当時の人々の間で大評判となったのです。

近松門左衛門の『曽根崎心中』にちなんだ大阪の「曽根崎お初天神通り」

しかし、18世紀後半になると歌舞伎の人気の方が上回るようになり、人形浄瑠璃は衰退していきました。

18世紀半ばには、浄瑠璃の三大名作といわれる「菅原伝授手習鑑」、「義経千本桜」、「仮名手本忠臣蔵」が生まれていますが、これらの名作も、現在はどちらかというと歌舞伎の演目として人気があります。

人形浄瑠璃文化を担った「文楽」

さて、一方の文楽は、1805(文化2)年に植村文楽軒が大坂の高津に浄瑠璃小屋を開設したのが始まりです。これが後の文楽座となり、人形浄瑠璃は再び人気を取り戻していきます。

天神橋筋商店街のアーケード入り口にある人形。浄瑠璃人形がモデルになっている

文楽はその後も300年以上にわたり、大阪を中心に多くの人に親しまれることになりました。

明治時代の初め頃には、人形浄瑠璃は「彦六座」と「文楽座」の二座体制で、さらに彦六座もその後解散したことから、残る興行元は文楽座のみとなってしまいました。

この流れは今も引き継がれています。よって、大阪で成立した「人形浄瑠璃=文楽」という系譜が、現在の人形浄瑠璃の伝統の主軸だと言えるでしょう。

今でも大阪にはゆかりの地が多く残っており、道頓堀には文楽が生まれた地であることを示す石碑が建っています。また、劇場があったことを示す石碑や、文楽の物語に登場する実際の場所がたくさんあります。

参考資料

教えて!かんでん – 関西電力 言葉の違いが分かる読み物 粋-iki-

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

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