家康をはじめ戦国武将は泣いてばかり?武士たちの男泣きエピソード3選【どうする家康】
NHK大河ドラマ「どうする家康」、皆さんも楽しんでいますか?筆者は毎週の楽しみとして、いつも欠かさず観ています。
さて、そんな「どうする家康」について、SNS上でこんな話題がありました。
「家康が泣いてばかりで情けない、という批判がある。しかし中世の武士たちは感情の起伏が激しく、事あるごとに泣いていた。だから家康が泣くのは史実に沿っており、批判は当たらない(要約)」
振り返ってみると、確かに第1回放送「どうする桶狭間」から、何かにつけて泣いている徳川家康(演:松本潤)。しばしば家臣たちにたしなめられても、相変わらず泣き続けています。
果たして、武士たちは日頃からそんなに泣き続けていたのでしょうか。
今回は各種の文献を紐解いて武士たちが泣く様子や、彼らの流した涙の意味を考察して参ります。
主君の無事を喜ぶ兵(つわもの)たち……『今昔物語集』より
……今ハ四五十町許も行ぬらむと思程に我が郎等共の外に有る三四十許走らせ来たり此の焼頭を見て音を合せて泣事无限り馬兵五六十人計ハ来たりとと思ふ程に餘五音を叫て我れハ此れにそ有るを兵共此れを聞て馬より丸ひ落て喜ひ泣き爲る事初の叫めきに不劣……
※『今昔物語集』巻第二十五「平維茂罰藤原諸任 第五」
時は平安時代中期の長徳4年(999年)ごろ、豪族の平維茂(たいらの これもち)がライバルの藤原諸任(ふじわらの もろとう)により焼討されてしまいました。
家臣団は壊滅状態、平維茂も行方不明となってしまい、生存は絶望的。しかし、悪運の強い平維茂は生き延びていたのです。
「あぁっ、御館様はご無事なるぞ!」
火事で髪はちょっとチリチリ(焼頭)になっちゃったけど、間違いなく我らが餘五将軍(よごしょうぐん。平維茂の二つ名)は生きていました。
「者ども、わしはここにおるぞ(我れハ此れにそ有る)!」
「「「良かったー!」」」
郎党たちの喜びようと言ったら、文中「馬より丸ひ(まろび=転び)落て喜ひ泣き」つまり感激のあまり、馬から転げ落ちて嬉し涙にむせんだと言うのです。
お前らどんだけご主人様大好きかよ……それだけ平維茂に対する絶大な信頼があったのでしょう。
さぁ、大将さえいればこっちのもの。お楽しみはこれからだ……という訳で、平維茂は見事にリベンジを果たしたのでした。
北条政子の演説に感激する御家人たち……『吾妻鏡』より
「みな心を一つに奉るべし。これ最期のことばなり……」
鎌倉幕府存亡の危機(承久の乱)に臨んで、尼将軍・北条政子(ほうじょう まさこ)が御家人たちを奮い立たせた演説は有名ですね。
思い出しなさい。かつて源頼朝(みなもとの よりとも)が鎌倉に武家政権を樹立するまで、あなたがた武士たちはどんな暮らしを強いられていたか。
犬よ地下人(じげにん)よと蔑まれ、厳しい務めと惨めな待遇に喘いでいたところを、大手を振って歩けるようになったのを。
この山より高く、海より深き御恩を忘れたら、あなたがたはまた公家どもの犬に成り下がってしまうのです。
「戦うぞ!我らの鎌倉を守り抜き、源家三代の御恩に報いるのだ!」
奮い立った御家人たちは感涙にむせび返事も出来ないほどでした。
……群參之士悉應命。且溺涙申返報不委。只輕命思酬恩。寔是忠臣見國危。此謂歟。……
※『吾妻鏡』承久3年(1221年)5月19日条
【意訳】集まっていた御家人たちは政子の演説に感激するあまり、涙に溺れてまともに返事さえできなかった。でも、我らが鎌倉を守るため、一命を顧みず戦う意志だけはハッキリと伝わってくる。古来「忠臣は国の危機にこそ現れる」と言うが、まさにこのことであろう。
御家人たちの涙は、まさに頼朝公の御恩や苦しい境遇を耐え抜きながら死んで行った先達のために流されたのでした。
「我らが神の君」も感涙にむせぶ……『徳川実紀』より
今川の監視をくぐり抜け、せっせと蓄え続けた鳥居忠吉(イメージ)
……忠吉は君の御手をとり。年頃つみ置し府庫の米金を御覧にそなへ。今よりのち 我君良士をあまためしかゝへたまひ。近国へ御手をかけたまわんため。かく軍粮を儲置候なりと申ければ。 君御涙を催されその志を感じたまひぬ。……
※『東照宮御実紀(徳川実紀)』巻二 弘治二年「鳥居忠吉密貯 銭献元信」
第3回放送「三河平定戦」で鳥居忠吉(演:イッセー尾形)が家康のために軍資金や武具兵粮を蓄えていたシーンです。
「これで戦さができるぞ~!」「♪え~び~すくい、えびすくい……♪」「よーし、わしも……」「やめとけ爺、死ぬぞ!」
なんてコミカルに描かれていましたが、ちょっと考えてください。
かつて、三河の松平領は今川家の統治下にありました。家康(当時は元信)が独立・挙兵するための軍資金や物資を無断で蓄えることなど、許すはずがありません。
つまり犯罪です。もし見つかれば、最悪処刑も当然あり得るのです。
しかもそれだけのリスクを冒しても、肝心の家康が「挙兵?そんなことしたくないよ」と言い出す可能性も否定できません。
何より忠吉はじめ三河家臣団は生活苦にあえいでいました。中には「そんな使うアテも定かでない貯蓄をするより、目先の食い扶持に当ててくれよ!」そう思った者もいた筈です。
※80過ぎた老人が、たった一人で重い銭や武具兵粮を運べたとは思えません。
そこまでして自分に期待し、支え続けてくれた忠吉らの忠義に感激した家康は、感動の涙を流したということです(そういう名場面を観たいのです)。
【結論】武士の涙は、あふれ出る強さがゆえ以上、各種の文献から武士たちの涙を3例ほど紹介してきました。
共通して言えるのは、彼らが「他者を思って泣いている」こと。誰かの苦しみや悲しみを、他人事と割り切れない。そんな熱さを胸に宿して泣いています。
自分が痛いとか苦しいとか、辛いとか悔しいといった私情で泣いている者は、誰一人としていないのです。
仮にそういう理由で泣いている者がいれば、当時の武士たちも叱りつけ、あるいは内心で軽蔑したことでしょう。
他者へ強すぎる思いが両眼からあふれ出して止まらない。それが武士の涙であり、現代でも「男泣き」という言葉が残されています(もはや死語かも分かりませんが)。
果たして、松本潤が演じる徳川家康の涙はどうでしょうか。
家臣たちがそれぞれ最善を尽くしている中、ただ一人で泣いている。その胸中は察するよりなく、またどう感じるかは人それぞれですが、武士の涙はここ一番にとって置くもの。
家臣たちと苦楽を分かち合い、共に笑って泣いた家康。だからこそ家臣たちの心をつかみ、彼らと共に天下を獲れたのです。
本作の家康も、そんな主君に成長して欲しいと心より期待しています。
※参考文献:
菅野覚明『武士道の逆襲』講談社現代新書、2004年10月 『今昔物語集 巻第25』国立国会図書館デジタルコレクション 五味文彦ら編『現代語訳 吾妻鏡 8 奥州合戦』吉川弘文館、2010年4月 『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan