徳川家康の側室「お万の方」は二人いた!もう一人のお万(養珠院)とは【どうする家康】 (2/3ページ)

Japaaan

勘助)
妹・沼間平右衛門清許(ぬまま へいゑもんきよもと)室

※『寛政重脩諸家譜』巻五百三十 平氏(良文流)三浦

やがて蔭山氏広(かげやま うじひろ。長門守)の養女となったお万は家康の側室として召し抱えられます。

徳川頼宣(左)と徳川頼房(右)。画像:Wikipedia

慶長7年(1602年)3月7日に家康の十男である長福丸(ちょうふくまる。徳川頼宣)、翌慶長8年(1603年)8月10日には十一男となる鶴千代(つるちよ。徳川頼房)を生みました。

この徳川頼宣(よりのぶ)は後に御三家の一つ・紀州藩の祖となり、徳川頼房(よりふさ)は同じく水戸藩の祖となって徳川宗家を支えます。

後に家康が亡くなると出家して養珠院(ようじゅいん。養珠院妙昭日心)と号し、承応2年(1653年)8月22日に世を去りました(享年は74歳とも77歳とも)。

終わりに

以上、ごくざっくりと“もう一人のお万”養珠院を紹介してきました。

ちなみに彼女の実家である三浦一族は、鎌倉幕府の御家人であった三浦義連(よしつら。佐原義連、三浦義澄の末弟)の末裔とされています。

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