武将・松永久秀は本当に大仏を焼いたのか?彼が日本史上屈指の極悪人とされた本当の理由 (2/3ページ)
大仏が焼けたのは夜のことなので、目撃者はいません。ただ、犯人が誰なのかについては3つの説があります。
ひとつは、松永久秀による放火。もうひとつは、三好三人衆軍による失火。3つめは、久秀軍の中にいたキリシタンの人物による放火です。結論を先に言えば、最近の研究者の間では2つめの失火説が指示を得ているようです。
ではなぜ、松永久秀は今まで犯人扱いされることが多かったのでしょうか。これについて歴史学者の磯田道史は、寺社や富裕層からの略奪を行ったことで恨みを買い、悪人として記録に残されたことが原因(の一つ)だと述べています。
久秀は武力を背景にあちこちから略奪し、それによって強力な軍勢を組織していました。1567年に戦いが始まると、彼は東大寺や奈良の興福寺をはじめ、その他の富裕層からも徹底的に「徴税」しています。
それに対し、久秀と敵対していた三好三人衆は寺社・富裕層を保護する方針を掲げます。こんな形でも、両勢は刃を交えていたのです。
「松永久秀悪人説」を語り継いだのは誰かそんな調子で5月になると、三好三人衆は奈良の東大寺大仏殿・二月堂などを占領。さらに久秀も戒壇院を占領して大仏殿にいた三人衆軍を銃撃しますが、今度は三人衆が久秀の手下に賄賂を渡して裏切らせ、久秀軍の陣地に放火させるなどしました。
しかし、久秀の軍勢は放火も何のその、敵軍を撃退すると大仏殿にいた三好三人衆に奇襲をかけました。