滅亡はやっぱり豊臣氏のミスだった?あの方広寺鐘銘事件の最新の解釈は (2/3ページ)

Japaaan

バラバラに二分された「家」「康」の名前の二文字に、豊臣を君として子孫繁栄を楽しむ、とも読み解ける文言は、豊臣氏による呪いの言葉ともとれます。

今も残る「国家安康・君臣豊楽」が刻まれた方広寺の釣鐘

この時、徳川家康の御用学者だった林羅山は、明確に「この銘文は呪詛だ」と断言しています。また、銘文を考えた臨済宗の僧・文英清韓は豊臣方に極めて近しい人物でした。

実は、文英清韓はこの銘文について直接家康に弁明しています。彼は、「家康」「豊臣」は和歌などで用いられる隠し題として使ったに過ぎないと述べました。

しかし、それにしても家康のことを官職名で呼ばずに「家康」という諱(いみな)を使った点は不自然ですし、そもそも銘文には「右僕射源朝臣家康公」とも書いてあります。悪意あり、と解釈されても仕方がありません。

ミスによる滅亡

こうして、この事件がきっかけで徳川・豊臣は完全に決裂し、1614~1615年の大坂冬の陣・夏の陣による豊臣家の滅亡へとつながっていったのはご存知の通りです。

「滅亡はやっぱり豊臣氏のミスだった?あの方広寺鐘銘事件の最新の解釈は」のページです。デイリーニュースオンラインは、方広寺鐘銘事件戦国時代カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る