凄いぞ大阪!織田信長・豊臣秀吉ら時の権力者が欲しがった交通の要衝。大阪の歴史的意義【後編(戦国~近世)】

Japaaan

凄いぞ大阪!織田信長・豊臣秀吉ら時の権力者が欲しがった交通の要衝。大阪の歴史的意義【後編(戦国~近世)】

長い歴史の中で、大阪は日本一の要地として、多くの権力者が大阪の統治を目指しました。その理由は、海上交通が主流だった時代、大阪は大陸から瀬戸内海を経て運ばれた物資が集まり、そこに人々が集まる要衝であったからです。戦国時代になると、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の天下人が入り乱れて大阪の争奪戦を行いました。

凄いぞ大阪!織田信長・豊臣秀吉ら時の権力者が欲しがった交通の要衝。大阪の歴史的意義【前編(古代~中世)】

【後編】では、そんな大阪の戦国・近世における歴史的意義を紹介します。

室町・戦国時代の大阪

1467年京都で起きた応仁の乱は、日本各地に広がり戦国時代に突入します。大阪も戦乱により荒廃しました。1496年になると上町台地に、浄土真宗第8代宗主蓮如による石山御坊の建設が始まります。石山御坊は寺院と僧侶の宿舎を併せ持ち、後に石山本願寺と呼ばれるようになります。その後、御坊周辺は寺内町として栄え、現在の大阪の基盤が誕生します。

蓮如上人(写真:Wikipedia)

蓮如上人(写真:Wikipedia)

そんな石山本願寺に目を付けたのが、織田信長でした。古代より交通の要衝である大阪は、天下統一を進める信長にとって、その本拠を置くにふさわしい場所であったのです。

信長は「そもそも大坂はおよそ日本一の境地なり」と唱えたといいます。大阪湾には、瀬戸内からも多くの商船が入港します。すでに堺を手に入れていた信長でしたが、大阪を支配することで、さらなる経済の拡張を画策したのでしょう。そして、瀬戸内海に繋がり、大和川と淀川による水運が良好な上町台地を手に入れることは、日本だけでなく、将来的に中国への進出を考えていた信長にとって必要なことであったのです。

織田信長(写真:Wikipedia)

織田信長(写真:Wikipedia)

安土桃山時代の大阪

織田信長は、第11代宗主顕如が守る石山本願寺を10年以上にわたり、攻め続けました。当初有利に戦いを進めていたものの、制海権を奪われ兵糧が不足した石山本願寺は、ついに1580年、顕如が鷺森別院に向けて退去します。

そして、顕如の長男・教如が退去した直後に堂舎・寺内町が炎上して灰燼に帰しました。こうして、ついに石山本願寺のほとんどが焼かれ、大阪は織田信長の支配下におかれるのです。

おそらく信長は、石山本願寺の跡に新たな城郭を築こうとしていたと思われます。ただ、その信長の支配は長く続きませんでした。1582年、本能寺の変で信長が倒れると、大阪は豊臣秀吉の支配するところとなりました。

豊臣秀吉(写真:Wikipedia)

豊臣秀吉(写真:Wikipedia)

秀吉は、信長の遺志を継ぎ、石山本願寺跡に大阪城を築きます。また、東横堀川・西横堀川・阿波堀川などを堀り、海運・水運の拠点とし、各地から商人を移住させ木綿・油・薬種・金属加工業などの産業の集中を図り、天下人の本拠地にふさわしい城下町を構成しました。大阪は、海外貿易の拠点となり、大いなる発展を遂げたのです。

江戸時代の大阪

1600年の関ケ原の戦いを経て、1604年に江戸幕府を開府し、名実ともに天下人となった徳川家康にとって唯一の懸念は、大阪城にいて徳川家と同等の地位を保持する豊臣秀頼でした。

徳川家康(写真:Wikipedia)

徳川家康(写真:Wikipedia)

家康は、秀頼に対し領地削減の他、徳川家への臣従・方広寺鐘銘事件など無理難題を押し付け、1614~15年に大坂の陣を起こさせ、ついに豊臣家を滅ぼします。この時、豊臣氏の大阪城は、淀殿・秀頼とともに焼け落ちます。そして大阪城は、城下町ともども徹底破壊されてしまいました。

しかし、豊臣氏が滅んでも、要衝としての大阪は健在です。家康の後を継いだ、2代将軍徳川秀忠は、大阪城の再建工事に着手します。秀忠は「石垣も堀も旧大阪城の倍にせよ」と命じます。豊臣時代の大阪城の上に盛り土をして、全て埋められ、堀はより深く、石垣は巨石を用いてより高く築き直され、約10年の年月をかけて再建を果たしました。

大阪城(写真:高野晃彰)

大阪城(写真:高野晃彰)

そして大阪は、江戸時代を通じて日本の中心となる経済都市「天下の台所」として繁栄していくのです。また、経済の中心として多くの人や物資が行き交う大阪は、人形浄瑠璃・上方落語・俳諧などの現在に続く文芸文化が花開きます。また、幕末には緒方洪庵の「適塾」が開設し、ここからは大村益次郎・大鳥啓介・福沢諭吉などの英才を輩出しました。

適塾(写真:高野晃彰)

適塾(写真:高野晃彰)

このように大阪は、古代から近代まで「凄いぞ大阪」と断言できる、計り知れないほどの歴史的意義を担ってきたのです。

そして大都会と化した現在の大阪には、その歴史を物語る多くの寺社・史跡・旧跡が残されています。そんな歴史ポイントを折に触れてご紹介します。どうぞ、お楽しみに……。

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

「凄いぞ大阪!織田信長・豊臣秀吉ら時の権力者が欲しがった交通の要衝。大阪の歴史的意義【後編(戦国~近世)】」のページです。デイリーニュースオンラインは、大阪カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る