将軍・徳川家光の女装癖は本当だったのか?女装シーンが出てくる「若気の至り」の逸話とは (2/3ページ)
まず一人目が、江戸幕府の老中・大老を勤めた酒井忠世で、彼は無口でどっしりとした重厚感のある人柄だったといいます。また二人目の土井利勝も同じく老中・大老を勤めた人物で、柔軟で優しい性格の譜代大名でした。
三人目が青山忠俊です。彼は安土桃山時代から江戸時代初期にかけて生きた人物で、戦国時代の気風が残っている性格だっ若上たのか、人に対して厳しく進言する性格だったといいます。家康・秀忠に仕えた譜代大名でした。
後世に成立した、新井白石による『藩翰譜』や『武野燭談』などの史料から、彼ら三人は家光が師事した「三臣師傅説」に数えられています。
ただ、この中で、優しくも厳しい人物だった青山忠俊は、その性格のため家光から改易されてしまうのです。
その原因こそが、家光が女装している姿を目撃してしまったことでした。
家光と忠俊の確執江戸時代初期は傾奇者(かぶきもの)という奇抜なファッションが流行していましたが、おそらく家光もそれに影響されたのか、ある日鏡を並べて化粧をしていました。