徳川尾張藩に立ち込めし暗雲…若き藩主をはじめとする連続不審死の真相は? (2/3ページ)

Japaaan

まず、1711年に奥田が突然亡くなりました。これについては女中に刺されたという噂もあったとか。

その後、吉通自身も1713年9月15日、夕方に腹部の痛みを訴え、わずか四時間後に死亡しました。25歳の若さでした。

儒学者・室鳩巣の『兼山麗澤秘策』では、吉通は「食後に血を吐き、苦しみながら死んだ。医者も全く手に負えなかったため、多くの者がその死を疑った」と記録されています。また亡くなる前日、彼は侍医に「汝は吾を殺しはせぬか」と尋ねたりしていたとか。

なぜか吉通の死は秘密裏にされ、さらに紀伊家から進物を担いでやってきた人たちのうち一名が、尾張家の表玄関前で突然死。さらに二か月後には吉通の三歳の子が亡くなり、また奥田忠雄の後継になった弟も25歳で亡くなりました

これで「何かが起きている」と感じない方がおかしいでしょう。尾張藩内の人々は疑心暗鬼に陥ります。

陰謀かお家騒動か

この連続不審死によって、尾張徳川家の正統は絶えることになり、その後徳川吉宗が将軍に就任しています。よってこれは吉宗やその関係者による陰謀・暗殺ではないかという推測もあるようです。

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