江戸時代「黒船」は庶民の好奇心を刺激した!ペリー来航に人々はどう反応したのか (2/3ページ)
これについては江戸町奉行所をはじめ、幕府老中までもが見物禁止の達書を出したほどですから、庶民の熱狂ぶりもなかなかのものです。
嘉永7年(1854年)横浜への黒船来航の風景画(Wikipediaより)
もちろん、大砲が撃たれた時はさすがにちょっとした騒ぎになりましたが、空砲だと分かると、今度は花火代わりだと言って楽しむ者すらいたとか。当時の庶民は意外に逞しかったのです。
しかし楽しんでばかりもいられません。幕府は、アメリカと通商条約を結ぶか否か考えるにあたり、全国の諸大名に意見を求めますが、この時、庶民からも意見を募りました。
尊王攘夷思想に基づき、外国船を追い払おうという考え方も広まっていたので、この募集に対してはさまざまな意見が寄せられたといいます。
「俺ならこうやって追い払う!」庶民から寄せられた、外国船を追い払う方法は『「逷蛮彙議(てきばんいぎ)』という文献にみることができます。
例えば、水中に柵を設けて江戸湾を封鎖し、通せんぼをするもの。あるいは、黒船の底には小窓があるはずなので(実際にはない)この小窓を割って黒船を沈めようというもの。あるいは商人を装って船に入り込み、隙を見て火薬庫を爆破しようというものなどがあります。