古来から恐れられる呪術「丑の刻参り」そもそもは良縁・心願成就が始まりだった【前編】

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古来から恐れられる呪術「丑の刻参り」そもそもは良縁・心願成就が始まりだった【前編】

江戸時代のころから、人々の関心を集めていた「怪談話」。怖い話を聞いて背筋が凍りつく感覚を求めてか、現代でも夏になるとメディアで怪談や怪異などの特集が組まれます。

怪談にはいろいろな話がありますが、なかでも古来から現代まで延々と伝わっているのが「丑の刻参り」です。憎い相手を呪い「鬼」の力を借り、自分が直接手を下さなくても災いや死をもたらすという「丑の刻参り」。

恐ろしい逸話が伝わっていますが、そもそもは良縁・心願成就などが始まりだったとも伝わります。今回は、「丑の刻参り」の知られざる一面ついてご紹介しましょう。

魑魅魍魎や幽霊が現れる「丑の刻」とは?

 「丑の刻」とは、午前1時から午前3時ごろ(写真:photoAC)

「丑の刻」とは、現代でいうと真夜中の「午前1時〜午前3時」。「草木も眠る丑三つ時」ともいわれ、昔この時間帯は灯りもなく真っ暗闇になるので、人間・動物・植物はもちろん、「家」でさえ寝静まるため(※)、普段は身を潜めている幽霊や妖怪たちがその姿を表す時間帯……とされていました。

現代は、深夜でも開いているコンビニエンスストア・飲食店・自販機・外灯・ネオンの看板など、随所に煌々と輝く灯りがあるため「真っ暗闇」はほぼ無い状態です。そのため、「草木も眠る丑三つ時」と聞いてもピンとこない人のほうが多いでしょう。

ところが、その真っ暗闇の中で行われる呪いの儀式「丑の刻参り」は、今だ現代に引き継がれているのです。(2022年にも、ある男性が某国の政治家の写真を付けた藁人形をご神木に打ち付け、建造物侵入と器物損壊の疑いで逮捕された事件がありました。)

※「草木も眠る丑三つ時、家の棟も三寸さがり、水の流れも止まる」という表現もあります。

現代にも伝わる「丑の刻参り」とは

 丑時参(うしのときまいり)鳥山石燕『今昔画図続百鬼』(写真:wikipedia)

江戸時代、主に女性の間で広まった「丑の刻参り」
草木も眠る丑の刻に神社に出向き、ご神木に呪う相手に見立てた藁人形を五寸釘で打ち込めば、その相手に災いや死をもたらすことができる……という、呪いの作法です。

その呪いを叶えるには、丑の刻に白装束・げた履・頭には3本のロウソクを立てた鉄輪を被り、藁人形には呪う相手の髪の毛などの一部を入れ、誰にも見られず声をかけられず7日間は続けるなど、いろいろな決まりがあります。

丑の刻参りの起源とも伝わる「橋姫伝説」

 「宇治の橋姫の霊 瀬川菊之丞」歌川国貞

起源としては、一般的に「橋姫伝説」が有名です。平家物語の中の「釣巻(つるまき)」に収められている逸話によると、公卿の娘・橋姫が嫉妬のあまり「殺したい女がいる」と神社で願ったところ、神さまが現れ「宇治川に浸かり21日間を過ごすよう」とお告げをしたそう。

娘はその通りに行動し、鬼と化して願いを叶えた……という伝説です。その伝説の中では五寸釘・人形は登場しません。

火を灯した鉄輪を戴いた鬼女「鉄輪」

 「鉄輪」(作者不明)

その後、室町時代の世阿弥の謡曲「鉄輪」の中で、自分を捨て後妻を娶った夫に報復するために報復を祈願した元妻が火を灯した鉄輪を戴いた鬼女となり現れ、当時有名な陰陽師・安倍晴明が祈祷するという話があります。

「丑の刻参り」は恐ろしい禍々しい話のようですが、そもそもは、「丑年丑月丑日丑刻」に神社の祭神が降臨される折、心願成就に詣でたのが始まりといわれているのです。

【後編】では、現在でも「丑の刻参り」に使用された「五寸釘を打ち込んだ跡」が無数に残る杉がある神社についてお話ししましょう。

 今なお釘の跡が残るご神木(撮影:高野晃彰)

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