受け継がれる「槍半蔵」の名。渡辺重綱(守綱嫡男)の生涯と子孫たち【どうする家康 外伝】

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受け継がれる「槍半蔵」の名。渡辺重綱(守綱嫡男)の生涯と子孫たち【どうする家康 外伝】

「槍半蔵」の二つ名で、徳川家中に武名を馳せた猛将・渡辺守綱(わたなべ もりつな)。三河一向一揆で一度は主君に仇なしたものの、帰参後は忠義一筋に奉公し、その誇りを末代まで伝えています。

そんな渡辺守綱には息子がおり、これまた「槍半蔵」の名に恥じぬ猛将でした。という訳で今回は渡辺守綱の子・渡辺重綱(わたなべ しげつな)を紹介。どんな槍働きを魅せてくれるのでしょうか。

小田原・関ヶ原・大坂を歴戦

渡部重綱(画像:Wikipedia)

渡部重綱は天正2年(1574年)に三河で誕生しました。母親は守綱の正室・平岩親重(ひらいわ ちかしげ)娘ですから、平岩親吉(ちかよし)は伯父に当たります。

通称は父と同じく、半蔵および忠右衛門。元服して外祖父から重の字を賜わり、重綱と改名しました。

15歳となった天正16年(1588年)、半蔵重綱は主君・徳川家康(とくがわ いえやす)へ近侍するようになります。

それから17歳で小田原征伐(天正18・1590年)、27歳で関ヶ原合戦(慶長5・1600年)と歴戦。父に劣らぬ槍働きを見せました。

慶長18年(1613年)に父ともども家康九男の徳川義直(よしなお。尾張藩初代)につけられ、翌慶長19年(1614年)から慶長20年(1615年)にかけて戦われた大坂の陣では尾張家の先鋒を務めています。

元和6年(1620年)に父が世を去ると47歳で家督と遺領1万4千石を受け継ぎ、父の愛刀であった長谷部国信(はせべ くにのぶ)を献上しました。

寛永18年(1641年)に68歳で尾張藩家老(執政)に就任。御政道を支えますが寛永20年(1643年)に隠居。嫡男の渡辺治綱(はるつな)に家督を譲ります。

そして慶安元年(1648年)10月1日、75歳で世を去ったのでした。

槍半蔵の子孫たち

大坂夏の陣(一部)半蔵重綱は、どこで戦っていたのだろうか?

以上、渡辺重綱の生涯をごくざっくりたどって来ました。なお、この渡辺半蔵家の子孫は尾張藩に仕え、幕末維新を越えて近現代まで続いています。

【渡辺半蔵家略系図】

……渡辺守綱-渡辺重綱-渡辺治綱-渡辺宣綱=渡辺定綱-渡辺直綱=渡辺綱保-渡辺綱通=渡辺綱光=渡辺規綱-渡辺寧綱-渡辺綱倫-渡辺綱聡-渡辺修二-渡辺明綱……

果たしてNHK大河ドラマ「どうする家康」には、守綱の息子は登場してくれるでしょうか。本人の活躍もご無沙汰な印象ですから、そろそろまた出てきて大暴れして欲しいですね!

※参考文献:

高柳光寿ら編『新訂 寛政重脩諸家譜 第8』続群書類従完成会、1965年2月 名古屋市『名古屋市史 第6巻』愛知県郷土資料刊行会、1980年3月

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