「どこにでもあると思ってた」「親として自慢できるゲーム」 津軽人しか知らない謎の存在「イモ当て」とは何ぞや? (2/3ページ)

Jタウンネット記者の取材に応じたのは、佐藤製菓の佐藤力雄代表だった。
「イモ当て」は、同社では「津軽当物(あてもの)駄菓子」というカテゴリーの商品だという。いつ、どんなきっかけで生まれたのか、聞いてみた。
「昭和初期には津軽地域ですでに作られていたそうです。初代の助一も子供のころから親しんでいて、戦後に製造していた数件あったメーカーの一つに修行に入り、覚え、独立開業したのが佐藤製菓です。そのころのくじ紙には閻魔大王が描かれ、練りきりの生菓子が大王(大王当て)と呼ばれていたそうです」(佐藤力雄代表)

「津軽当物駄菓子」の発祥は、昭和初期の「大王当て」だったようだ。そしてその最盛期は、戦後、昭和20年後半~30年中頃だったという。
「メーカーも6、7社あり競い合ってお菓子を作っていました。お菓子を大きくしたり、キャラクターものにしたり、くじのあたりを『大王』の上に特賞を付けたり、様々な方法で射幸心をあおりがらも子供たちに楽しみを与え、そして自らも生活の糧として作られ続けて行きました」(佐藤力雄代表)起死回生の大ヒット「イモ当て」
その後、団塊の世代の子供達は成長し、集団就職し、少子化が進み、駄菓子屋が減り、昭和40年頃には駄菓子メーカーは弊社1件しか残らず、佐藤製菓も苦境に立つ。そんな中、ヒットしたのが「イモ当て」だった。