その手は食わぬ!豊臣秀吉からの誘いを辞退し、忠義を貫いた鳥居元忠【どうする家康】

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その手は食わぬ!豊臣秀吉からの誘いを辞退し、忠義を貫いた鳥居元忠【どうする家康】

徳川ラブ 明るく熱い忠義者

鳥居元忠 とりい・もとただ(彦右衛門 ひこえもん)
[音尾琢真 おとおたくま]

鳥居家代々の家訓に従い、人質時代から家康に付き添い、生涯を通じて主君を守り続ける徳川一筋の忠義者。ふだんは不器用で明るい男だが、戦場ではスイッチが入ったように活躍する。

※NHK大河ドラマ「どうする家康」公式サイト(登場人物)より

NHK大河ドラマ「どうする家康」、皆さんも楽しんでいますか?筆者も毎回、主人公の徳川家康(松本潤)はじめ徳川武士団の成長と活躍を楽しみに見守っています。

今回は犬にも喩えられた、忠義に篤い三河武士の一人・鳥居元忠(音尾琢真)を紹介。劇中でこそ今一つ存在感の薄い(※筆者主観)彦右衛門ですが、家康に対する忠義は誰にも負けない熱さを持っていました。

鳥居元忠肖像(画像:Wikipedia)

今回は江戸時代の逸話集『名将言行録』より、鳥居元忠の忠義ぶりを紹介したいと思います。

※『名将言行録』は逸話集と謳われる通り、当時の伝承などをまとめた文献のため史実性については今一つです。しかし現代も人々に愛される戦国武将のイメージは大半がこうした言い伝えを元にしており、また当時の人々も「彼ならやりそうだ」という一定の先入観≒元ネタとなる言行があったものと考えるのが自然でしょう。

家康からの感状を辞退。その理由は?

……元忠屡々(しばしば)戦功を立つ、家康親(みずか)ら筆を染られて其戦功を賞せらるべき由(よし)を言はれしに、元忠、殿既に某(それがし)が労を知り賜へり、某又人に向て御感状を證(あかし)として、其功に誇り申べきと申して辞す。之(これ)に依て、元忠に賜はる所の書は、尋常の感状にては之なく、悉(ことごとく)く、直判(じきはん)の内書(ないしょ)なり……

※『名将言行録』巻之五十一 鳥居元忠

元忠は初陣以来、数々の合戦において武勲を重ねてきました。これに対して家康が自ら感状(表彰状)を書こうとしていると聞いた元忠は、家康にこう言います。

鳥居彦右衛門(鳥井彦右エ門)元忠。歌川芳虎「東照宮十六善神之肖像連座の図」より

「それがしの働きは、殿がすべてご存じでありさえすればいいのです。御感状を他人に見せびらかして自慢するような、浅ましいことは致しませぬ」

他人よりも優れているとか、今回も手柄を立てたとか、そんな事はどうでもいい。たとえ天下じゅうから何を言われようが、殿さえお認め下さるなら、それがしはそれだけで満たされるのです。

まこと純粋無垢なる忠義の心に胸を打たれた家康ですが、それでは家康の気が収まりません。

それ以来、家康は元忠に対して発行する感状はすべて直判(自分の花押=サインを書き添えること)にしたのでした。

普通、家臣に対して発行する感状は然るべき重職の者が花押を書けば足りました。それを家康は自分の花押を書いたといいます。

たかが花押と侮るなかれ。かつて源頼朝が鎌倉に幕府を開いた際、下文(くだしぶみ。命令書)に頼朝の花押を求めて駄々をこねた御家人がいたくらいです。

花押には主君との信頼関係が込められており、元忠が家康直々の内書(ないしょ。ここでは私的に発給された感状)を喜んだのは言うまでもありません。

この「公にはしない、二人だけの秘密」感がたまらないですね。

二主へ忠を盡すべき道を弁ぜず……秀吉の誘いを辞退

元忠を調略しようと目論む秀吉(イメージ)歌川貞秀筆

……秀吉、元忠へ官位を下し賜はらんとなり。元忠之を辞して曰く、某不才者に候へば、両君の恩恵を受け、二主へ忠を盡すべき道を弁ぜず、殊に三河譜第の者にて、万事麁忽なれば、官位に進み、殿下の御前へ出仕を遂ぐべき器量にあらず、達て御免を蒙るべしと、堅く辞して受けず……

※『名将言行録』巻之五十一 鳥居元忠

「ほう、あの彦右衛門が……」

武勇にすぐれ、忠義に篤い元忠の噂を聞きつけ、自分の家臣に欲しくなったのが豊臣秀吉。思い立ったが吉日とばかり、さっそく自分の元へ呼びつけました。表向きは、官位を授けるよう朝廷に推挙する打診です。

「此度、そなたに官位を授けようと思うのじゃが、何の官職が欲しいか言うてみよ」

いつまでも右衛門尉(うゑもんのじょう)、しかも自称ではカッコ悪かろう……秀吉が推挙するなら、大概の官位は望みのまま……しかし元忠はこれを辞退して言いました。

「それがしは不才者にございますれば、二人の主君から恩義を受けて、どちらにも忠義を尽くす器用さを持ち合わせておりませぬ。ことに我ら三河武士は何につけても粗忽にございますれば、立派な官位をいただいたところで、殿下のお役に立てるとも思えませぬ。たって御免こうむりたい」

名誉なんかで釣ろうったって、そうは行くものか。三河武士をナメるなよ……丁寧な物言いに隠された言外の反論に、秀吉はぐうの音も出なかったそうです。

終わりに

鳥居元忠の最期。月岡芳年筆

以上、忠義に篤い鳥居元忠のエピソードを紹介してきました。

その後も元忠は武功を重ね、最期は伏見城で非業の討死を遂げることになります。果たしてNHK大河ドラマ「どうする家康」では元忠の壮絶な最期をどのように描くのでしょうか。

まだまだ続く鳥居元忠の活躍、これからも楽しみに見守りたいですね!

※参考文献:

岡谷繁実『名将言行録 6』岩波文庫、国立国会図書館デジタルコレクション

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