ライト兄弟より早かった!?江戸時代に初めて空を飛んだ日本人・浮田幸吉
飛行機による人類初の有人飛行を成功させたのがライト兄弟であるのは、有名な話ですが、実は日本人で初めて空を飛んだとされる人物がいます。
彼の名前は浮田幸吉(うきたこうきち)。1757年生まれの浮田は、幼い頃、父親を亡くし、傘屋へ奉公に出たそうです。そこで、傘を作りながら、いつしか、鳥のように空を飛べないかと考え、傘を作る技術を応用して大きな飛行装置を作り出したそうです。それは、現在のグライダーのようなものだと考えられています。
人間の重さに耐えうる翼の大きさを計算して導き出し、試行錯誤を繰り返して製作したのが長さ9メートル、幅2メートル程でした。骨組みに竹を使用し、紙と布を張り合わせ、強度を高めるために、表面の塗料に、渋柿が用いられたそうです。表具師としての技術を粋を集めて作られたそうです。
1785(天明5)年、夏の夕刻、ついに、岡山の旭川に架かる京橋にて飛行実験を行いました。浮田幸吉、29歳のときのことです。さっそく、幸吉は、欄干より飛び立ちます。飛行距離は30メートルから50メートル、飛行時間は約10秒間と伝えられています。
当時は、河原で町民が夕涼みをしており、幸吉の飛行実験を見て大騒ぎとなってしまいました。そして、浮田はお騒がせ人として捕まってしまい、所払いの処分(岡山から追放)になってしまいます。
故郷の岡山を追われた幸吉は、その後、駿河国駿府、現在の静岡県静岡市へと移り住みました。そこで幸吉は、木綿の製品を手掛ける店を開き、備前屋としての成功を収めます。
兄の長男を養子とし、跡継ぎに迎え入れたると、自らは入歯技師としての技術を活かし、歯医者を営むようになりました。
しかし、旭川の飛行実験から20年余り。再び空を舞う夢を捨てきれず、駿府でも安部川の河原にて飛行を試みます。それにより、また役人に捕らえられてしまい、駿府からも追放されてしまうのでした。
その後の幸吉は、現在の静岡県磐田市である遠江国(遠州)の見付宿に身を寄せることとなりました。そしてこの地で飯屋を営むようになり、妻も迎えたそうです。
1847(弘化4)年、人々を騒がせた浮田幸吉も、91歳でこの世を去りました。
ライト兄弟が、人類初の動力飛行に成功したのは1903年のこと。浮田が旭川で初めて飛行実験をしてから、118年後のことでした。
参考
“表具師 幸吉” 岡山県 斎藤茂太『飛行機とともに ― 羽ばたき機からSSTまで』(1972 中央公論社)日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan