最期はせめて夫の前で…平安時代、前九年の役で命を散らした安倍則任の妻は、どんな末路を辿ったのか【前賢故実】
古今東西、戦争とは無惨なものです。勝ってさえ犠牲は小さくないのに、こと敗者については殺され奪われ辱められ、そのすべてを失うことになります。
今回は前九年の役で敗れ去った安倍一族の妻を紹介。彼女は安倍則任(あべの のりとう)に嫁ぐのですが、その悲しい最期を紹介しましょう。
『前賢故実』から読み解く彼女の足どり安倍則任の妻は生没年不詳、実家など出自についても詳しいことは伝わっていません。
いつごろ則任に嫁いだかも定かではありません。仮に夫婦で同年代と考えた場合、則任の兄である安倍宗任が長元5年(1032年)生まれとされるため、それより若かったであろうと推測できます。
【則任の兄弟姉妹】
長男・安倍良任(よしとう。安東太郎、良宗とも)
次男・安倍貞任(さだとう。厨川次郎)
三男・安倍宗任(むねとう。鳥海三郎)
四男・安倍正任(まさとう。黒沢尻五郎)
五男・安倍家任(いえとう。磐井七郎)
六男・安倍重任(しげとう。北浦六郎)
七男・安倍則任(白鳥八郎)
八男・安倍行任(ゆきとう。二戸九郎)
長女・有加一乃末陪(ありか いちのまえ。藤原経清室)
次女・中加一乃末陪(なかか いちのまえ。平永衡室)
三女・一加一乃末陪(いちか いちのまえ)
則任の妻については詳しいエピソードは伝わっていないものの、『前賢故実』の記述から幼い一人息子を生んでいるようです。
安倍則任妻。不詳姓氏。康平中源頼義討安倍氏。則任妻見軍敗柵陥。告其夫曰。夫子亦将不免。妾義不獨生。請致死于君前。乃抱其兒。躍投深淵而死。衆軍為流涕為。
※菊池容斎『前賢故実』巻之六
【意訳】安倍則任の妻について、その出自は不詳である。前九年の役(永承6・1051年~康平5・1062年)の終盤において源頼義が安倍氏討伐に乗り出し、彼女は味方が敗れ砦(柵)が陥落する様子を目の当たりにした。
彼女は夫・則任に言った「あなたもこの子(男児)も助命されはしないでしょう。私ひとりで命を永らえるわけには参りません。どうかあなたの前で死なせて下さい」と。
そして男児を抱えると、深淵に身を投げ命を絶った。これを見て、則任はじめ配下の将兵らは涙を流さずにはいられなかったそうな。
……以上が彼女のすべてです(他に文献をご存じの方がいたら、ぜひご教示ください)。
夫も息子も助からないなら、せめて家族一緒に死にたい。その心映えに則任ら一同は感動し、最期の死力を奮い立たせたことでしょう。
終わりに
安倍則任の妻。我が子を抱き、入水を遂げようとしているところ。菊池容斎『前賢故実』より
やがて康平5年(1062年)9月17日に安倍一族の棟梁・安倍貞任が討死、宗任が降伏したことによって前九年の役は終結しました。
昔から「勝てば官軍、負ければ賊軍」とは言うものの、負けた側にも正義はあり、守りたかった誇りや信念があったのです。
家族を奪われ、敵に辱められてまで命を永らえたくない。彼女の最期は、言わば尊厳と矜持を守り抜く最後の抵抗と言えるでしょう。
その生き方は烈女の鑑として後世に伝えられ、こうして『前賢故実』に記されたのでした。
『前賢故実』には他にも魅力的な人物が何百人も収録されているので、また改めて紹介したいと思います!
※参考文献:
菊池容斎『前賢故実』国立国会図書館デジタルコレクション 高橋崇『蝦夷の末裔 前九年・後三年の役の実像』中公新書、1991年9月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan