悪名高い「不平等条約」はまだマシな方だった?実はアメリカも手を焼いた徳川幕府の粘り強い交渉
二つの「不平等条約」
幕末期にアメリカとの間で締結された、悪名高い日米和親条約と日米修好通商条約は、日本にとって不利な取り決めでした。関税率はアメリカに有利なように決められ、また治外法権も認められたため日本は自国の国民を守ることができないという内容でした。
アメリカと日米修好通商条約を締結した外交官、タウンゼント・ハリス(Wikipediaより)
このように、日本の主権が制限される内容だったことから、当時交渉にあたった徳川幕府はアメリカの言いなりになった、と長い間言われてきたのはご存知の通りです。
しかし、この「幕府は不平等条約を一方的に押し付けられた」という見方は、最近は変わってきています。当時、幕府の国力はアメリカには及びませんでしたが、それでも交渉を尽くしてアメリカからうまく譲歩を引き出したことが分かってきたのです。
確かに上記の条約は不平等な内容でした。しかし幕府は、当初アメリカから突きつけられた要求を全て黙ってのんだわけではありませんでした。
ハリスの苦労もともと、日米通商修好条約は、アメリカ総領事館のハリスと岩瀬忠震(いわせただなり)・井上清直との間で始まっています。当時の日本側の記録によると、ハリスは外国人の自由旅行を求めたのに対し、幕府側は攘夷の危険性を訴えて、行動範囲を開港地周辺へと限定させたりしています。
これにより、外交官以外の在留アメリカ人は、居留地以外での行動を制限されました。よってアメリカ人の商人は満足のいく活動ができなかったのです。
他にも、日本側は居留地の建築物を検分する権利が与えられましたし、アメリカが日本と諸外国の外交問題に仲介することが規定されるなど、日本側に配慮した取り決めがなされました。また関税も基本的には5%と決められましたが、品物によっては35%もOKとされています。
ここまで決まるまでの間、条約の草案は修正に修正を重ね、問題なく同意されたのは前文のみというありさまでした。
日米修好通商条約(外務省外交史料館蔵・Wikipdediaより)
ハリスも「自分は条約締結に功績がある」と日記に記していますが、実際には彼自身も「日本からは、条約の草案が真っ黒になるほど訂正させられた」と話しており、対日交渉は想像以上に苦労したことが伺えます。
アジアの国際政治を席巻した「不平等」列強が派遣を争う当時の世界情勢で、他のアジア諸国が欧米に結ばされた条約と比べてみると、日本の和親条約・修好通商条約ははるかにマシな内容だったと言えるでしょう。
例えば清国はアヘン戦争に敗れ、イギリスと「南京条約」を結んでいますが、この条約によって中国商人の利権が失われ、香港の99年間の譲渡が決定しています。さらに翌年の追加条約では、清国側は領事裁判権を承認させられた上に関税自主権をも放棄させられました。
また当時のシャム国(タイ)は、関税が日本よりも低い一律3%。のちにフランスと武力衝突したことで領土の一部を喪失しています。ビルマ(ミャンマー)などはイギリスとの度重なる戦争で植民地にまでなりました。
さらに、こうしたアジア諸国が欧米列強と結ばされた条約では、条約改正に関する条文がないことがほとんどでしたが、日米修好通商条約では13条で「1872年には条約の改正交渉ができる」とされています。
日本は確かに不平等条約によって苦しめられました。また、日本がアメリカとの戦争に至らずに済んだのは、幕府が交渉をしている間にアメリカの政治事情が変化したからという理由もありました。
しかしそれでも、以上の理由により戦争に至ることもなく、粘り強い交渉によってアメリカから大きな譲歩を引き出した形で条約を締結できたわけで、他のアジア諸国と比べればずっと良い方だったと言えるでしょう。
参考資料
日本史の謎検証委員会『図解 幕末 通説のウソ』2022年
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan