徳川家康の天下取りを支えた知られざる勇士・大久保忠豊の戦歴【どうする家康 外伝】 (3/4ページ)

Japaaan

東照宮につかへたてまつり、永禄三年尾張国石瀬の戦ひに首級を得たり。このとし三河国刈屋の役にも、十八町縄手にをいて敵をうちとる。六年本願寺門徒の乱年を越て平からず。このとき父兄親族等とともに上和田の要害にありて賊徒等を拒ぎ、しばしば軍功を顕はす。七年東三河に御発向あり、御油の城を攻たまふのとき、敵と鎗をあはせて首級を得たり。このとし片坂の合戦にも高名す。十二年遠江国天王山の戦ひ、元亀元年姉川の役三年三方原、天正三年長篠諏訪原の戦ひ、九年高天神、十年甲斐国新府、十二年尾張国岩崎の役等に奮戦して首級を得たり。この戦に忠豊先陣榊原小平太康政が手にあり。ゆへに仰によりて康政が組に属す。十四年三月八日死す。年四十四。法名浄泰。上和田の妙国寺に葬る。妻は内藤甚五左衛門行清が女。

※『寛政重脩諸家譜』巻第七百三 藤原氏 道兼流 宇津宮支流 大久保

以上、徳川家康の天下取りを支えた歴戦の勇士・大久保忠豊について紹介してきました。

名前も知られぬ勇士たちが、家康の天下取りを支えていた(イメージ)

法名は浄泰、墓所はかつて一向一揆の猛攻から守り抜いた上和田の妙国寺にあるそうです。

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