明治時代、日本の犯罪史上初めてのピストル強盗事件を起こした犯罪者「清水定吉」とは

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明治時代、日本の犯罪史上初めてのピストル強盗事件を起こした犯罪者「清水定吉」とは

さて、前回では幕末頃に日本に入ってきたピストルのお話をしましたが、

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ピストル絡みでもう一つ、重大な事件が起こっています。

最初の事件は、1882(明治15)年に発生しました。犯人は覆面をしてピストルを使用、以後、東京府内では拳銃強盗が相次いで発生。日本の犯罪史上初めてのピストルによる強盗事件でした。

事件の被害は80件以上にも及び、既に5人が死亡していました。犯人の逃げ足も速く、警官3000人と探偵200人が動員されたにも関わらず、警察は4年以上も犯人を捕まえることができない状態でした。

1886(明治19)年、12月3日午前5時頃、日本橋区馬喰町の絵草紙屋・石川スズ方に
覆面を被った強盗が押し入りました。強盗は、黒服面でしっぽりと顔を隠し、ピストルをつきつけてきました。

雇い人の岡島長次郎が抵抗をすると、強盗はピストルを発砲。弾は岡島氏の右腿を貫通したましたが、幸いにも命に別状はなかったそうです。一方で、強盗の方は、自ら撃った発砲音に驚いて何も盗らずに逃走しました。

通報を受けた久松警察署小川佗吉郎巡査は、現場に向かう途中、按摩姿なのに小走りをしている男を目撃。不審に思って尋問したところ、按摩師を生業としている清水定吉という人物でした。

清水は呼び止めには素直に応じたものの、右手は懐に入れたまま。小川巡査が「その手を出せ」と命じると、忍ばせていた短刀で巡査をいきなり斬りつけたといいます。小川巡査は短刀と発砲による重傷を負いながら、浜町河岸で清水の捕縛に成功。

その後、怪我も回復し、二階級特進で警部補に昇進しますが、四か月後に傷が悪化、1887(明治20)年4月26日、24歳の若さで殉死しました。清水には死刑判決が下され、同年9月に処刑されました。

こうして日本の犯罪史上初めてのピストル強盗事件は、幕を下ろしたのでした。この事件は後に、これまた初の国産映画の題材にもなり、「ピストル強盗清水定吉」として、全国各地の映画館で上映されたそうです。

参考

合田一道、犯罪史研究会『日本猟奇・残酷事件簿』(2006 扶桑社) 『別冊歴史読本・日本猟奇事件白書』(1988 新人物往来社)

トップ画像: スミス&ウェッソン (Wikipediaより)

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