したたかで狡猾、有能な徳川慶喜。「大政奉還」直後、政争は慶喜に有利に動いていた?【後編】 (2/4ページ)
彼は大政奉還の功労者である慶喜を会議に、ひいては新政府へ参加させるべきだと述べます。ちなみに酒好きの容堂はこの時もしっかり酒に酔っていました。
それでも辞官と納地の奏請は決定事項となり、薩摩藩によるクーデターはひとまず成功した形でした。
しかし慶喜はこんなことでは負けていません。まるで王政復古など意に介していないかのように、さっそく逆襲を始めるのです。
徳川慶喜の逆襲まず慶喜は、王政復古の翌日には、なんと自分の呼称を「上様」とすることを宣言しています。
そして慶喜の味方だった松平春嶽は、一度は大坂に入って情勢を見定めたらどうか、と進言しました。これを受け入れて、慶喜は二条城を出ると大坂城へ移ります。
慶応3年(1867年)大阪での慶喜(Wikipediaより)
そして逆襲が始まりました。慶喜は大坂城にこもると兵を集結させます。