現存するお城の8割を手掛けた!?織田信長も惚れ込んだ石工職人集団「穴太衆」の素晴らしい技術とは

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現存するお城の8割を手掛けた!?織田信長も惚れ込んだ石工職人集団「穴太衆」の素晴らしい技術とは

みなさんは、「穴太衆(あのうしゅう)」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?彼らは石工(いしく)職人なのですが、実は日本史上の超有名人も召し使えるほどの素晴らしいスキルを持っています。

そこで今回の記事では、「穴太衆(あのうしゅう)」について詳しく解説していきたいと思います。

「穴太衆(あのうしゅう)」とは?

穴太積の石垣(滋賀県大津市坂本)Wikipediaより

「穴太衆(あのうしゅう)」は、石材を扱うプロフェッショナルである石工職人の集団です。この独特の名前は、近江国(現在の滋賀県)琵琶湖西岸の穴太(あのう・あのお)地区に暮らしていたことに由来します。

そもそものルーツは古墳時代に朝鮮半島から来た渡来人だと言われています。比叡山延暦寺の石垣作りにも穴太衆が活躍したそうです。

「穴太衆」は石積のプロフェッショナルですが、その特徴は「自然の石を加工しないでそのまま積み上げていくことが得意」という点。

ただ石を積んでいるだけのように見えて、実は石の組み合わせ方や比重のかけ方などに細かな技が使われています。現代技術をしのぐほどの強度とも言われ、その高い技術力が認められています。

織田信長がほれ込んだ「穴太衆」

「穴太衆」の歴史は長いと考えられていますが、彼らの名前を一躍有名にしたのが織田信長でした。

「穴太衆」が手がける石垣の強固さの評判を聞いた織田信長は、安土城の築城時に「穴太衆」を召し使えました。

それ以降も但馬竹田城、姫路城や大阪城、名古屋城、江戸城なども「穴太衆」が手がけたと言われており、現在残っているお城の石垣のなんと7~8割が「穴太衆」の石垣だそうです。

「石の声を聴け」マニュアルのない世界

「穴太衆」については、その技術についての史料が少ないことも事実です。それは、「穴太衆」のスキルにマニュアルがないためです。彼らが扱うのは自然の石であり、それは一つとして同じものはありません。

そのため、先人たちのやり方を自分の目で見て、経験を積んでいくしかないのです。技術の伝承は口伝と言われています。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

画像出典(穴太積の石垣): Wikipediaより

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