考えが甘すぎ!?幕末期に明け渡された江戸城、実は「すぐ返してもらう」つもりだった【前編】

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考えが甘すぎ!?幕末期に明け渡された江戸城、実は「すぐ返してもらう」つもりだった【前編】

江戸城はいずれ返ってくる予定だった!?

幕末期のいわゆる「江戸城の明け渡し」については、思い切った英断だったというイメージが一般的です。

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追い詰められた幕府側でしたが、徳川慶喜は江戸城を明け渡すことで討幕派による攻撃を回避。こうして江戸の街は戦火を免れました。およそ260年も本拠とした城を差し出して町を守ったのですから、まことにあっぱれと言いたいところです。

今も残る旧・江戸城の巽櫓

ところが最近の研究では、実は幕府側はこの江戸城の明け渡しについて、あまり重く考えていなかったことが分かっています。

詳しく言えば、当時の幕府側は、江戸城を明け渡すのはあくまでも一時的なものだと考えていたのです。城はいずれ返ってくるだろうし、徳川慶喜の地位も保証されるに違いないと思っていたのです。

これは、明け渡された江戸城が、幕府寄りだった尾張藩預かりになったのも大きな理由でした。いずれ城は返還されるだろうという噂も、幕府内では流布していたといいます。

この思惑があったため、かの勝海舟は、一度は江戸城の返還を大総督府に意見したほどでした。

明け渡し後も続いた混乱

江戸城が新政府へ引き渡されたのは1868年4月11日のことです。これとあわせて、徳川慶喜は故郷である水戸藩へ移されました。

徳川慶喜(Wikipediaより)

そして、幕府に代わって江戸の町の治安維持を担うことになったのが東征大総督府です。

東征大総督府とは、旧江戸幕府軍勢力制圧のために、新政府によって設置された臨時の軍司令官のこと。戦争の指揮権や、徳川家および諸藩処分の裁量権などが与えられていました。

しかし、当時の江戸の町は治安が悪化していました。江戸城の明け渡しの前にも、薩摩藩の工作によって町はかなり荒らされていたのですが、開城後には警備力が低下してしまい、状況はさらに悪化していたのです。

しかも、新政府に反発した旧幕臣が東北や関東方面に逃亡すると、東征大総督府はそちらへ兵を派遣しなければなりません。そのため、江戸の警備は手薄になっていました。

勝海舟の提案

そこで新政府軍が考えたのが、勝海舟などの旧幕臣たちに、江戸の町の警備を委任するというものです。

これをチャンスと捉えたのが勝海舟でした。

隅田公園の勝海舟像

彼は、江戸の町の治安の回復を目的として、慶喜と江戸城を返還するよう大総督府に具申します。「将軍様」が江戸に帰ってくれば人心も安らかになり、旧幕臣たちの反発心も落ち着くと考えたのです。

先述した通り、勝海舟がこのような提案をしたのは、あくまでも江戸城の明け渡しは一時的なものだという頭があったからです。

しかし結果はご存じの通りで、江戸城は二度と幕府側に戻ってくることはありませんでした。勝の目論見は外れてしまったのですが、なぜこのような結果になってしまったのでしょう? それは【後編】で解説します。

参考資料:
日本史の謎検証委員会『図解 幕末 通説のウソ』2022年

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