戦よりも鷹狩りが好き♡本多忠勝も「いい加減になされ!」と呆れた徳川家康の熱中ぶりがコチラ

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戦よりも鷹狩りが好き♡本多忠勝も「いい加減になされ!」と呆れた徳川家康の熱中ぶりがコチラ

徳川家康と言えば、質実剛健を絵に描いたような堅物で、あまり趣味がなかったイメージが強いですよね。

好奇心は旺盛だったようですが、その多くは特に入れ込むほどではなく、目新しいものはとりあえず何でも試してはみると言った具合でしょうか。

そんな中、鷹狩りだけは大層な入れ込みようで、時には家臣たちを辟易させるほどだったそうです。

という訳で、今回は江戸幕府の公式記録『徳川実紀(東照宮御実紀附録)』より、徳川家康の鷹狩りエピソードを紹介したいと思います。

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猿楽や囲碁将棋などは今ひとつ

猿楽は面白いけど、家康的には今一つ

……なべてえうなき御遊戯は。このませ給はざりしが。時としては申楽を御覧じ。あるは囲碁将棋などもて。御消閑にもてあそばれし事もありしかど。ふかく御心とめられしにもあらず。……

※『東照宮御実紀附録』巻二十四

【意訳】あまり実益性のない趣味は好まない家康でしたが、たまに猿楽などをご覧になることがありました。

あるいは囲碁や将棋なども暇つぶし程度にやることはあったものの、深く入れ込むほどではなかったのです。

しかし鷹狩りだけは大ハマり

……たゞ鷹つかふことばかりは御天性すかせられ。御若年より御年よせらるゝまで。いさゝかもいとまある折は。かならず出立せ給ふことなり。……

※『東照宮御実紀附録』巻二十四

【意訳】そんな家康が、鷹狩りだけは心底好いていました。若いころから晩年まで、少しでも時間があれば鷹狩りにいそしんだものでした。

秀吉の上洛要請を拒否

秀吉の上洛要請より、鷹狩りが最優先(イメージ)

……既に長久手の戦ひ畢り。豊臣秀吉が許より土方下総守雄久等を使として。御上京の事を勧め進らせしに。三河の吉良の辺に狩せさせ給ひしが彼等を召出。御手に据られし鷹を指し給ひながら。われ此頃は鷹つかふをもて。明暮のたのしみとす。都方は織田殿のすゝめにて一覧せしかば。今はた見まくもおもはず。さりながら秀吉あながちに我をのぼせむとて。軍勢さしむけんには。この鷹一据もて蹴ちらさんものをと仰られしかば。雄久等大に恐れて京へ逃帰りしとか。……

※『東照宮御実紀附録』巻二十四

小牧・長久手の合戦(天正12・1584年)後、豊臣秀吉の使者として土方雄久がやって来ました。上洛=秀吉への臣従を勧めるためです。

「たまには京都見物にいらしてはいかがかと……」

この時も家康は鷹狩りを楽しんでおり、上洛要請を鼻で笑って言いました。

「この世で鷹狩りほど面白いものはない。京都なら前に織田殿の勧めで見物したが、また見たいと思うほどではなかったのぅ」

そんな事を言わずに……困惑する雄久へ、家康は重ねて嘯(うそぶ)きます。

「もし、猿(秀吉)めが無理に上洛せぇと軍勢を差し向けるならば、わしの鷹一据(ひともと。一羽)で蹴散らしてくれるわい」

さすがに鷹一羽に数万の軍勢が蹴散らせるとも思えませんが、さすがは戦上手の家康よと恐れをなして京都へ逃げ帰ったのでした。

「いい加減になされ!」本多忠勝も呆れ顔

家康の鷹狩り狂いに、忠勝もお怒りに(イメージ)

……また奥の景勝御追討の時御路すがら軍議をば後にせられ。たゞ鷹のことばかりに御心とめられしさまなれば。本多中務大輔忠勝あまりの御事なりと申せば。いやとよわがかくたはれたる様するは。汝等をしてよき幸得させむがためなりと仰られき。……

※『東照宮御実紀附録』巻二十四

【意訳】また慶長5年(1600年)に上杉景勝を討伐するべく会津へ遠征した際も、軍議をそっちのけで鷹狩りを始めるありさま。

「いい加減になされ!この大戦を前に何をお考えか!」

激怒する本多忠勝に対して、家康は凉しい顔で答えます。

「わしがこうして戯けた振る舞いに及ぶのは、そなたらに武幸を得させんがためじゃ」

総大将たる家康が、あえて鷹狩りに興じることで、忠勝らが伸び伸びと戦える……そんな理屈でしょうか。

忠勝は狸に化かされたような思いで引き下がったことと思われます。

鷹狩りにはメリットたくさん!

今日も鷹狩りにいそしむ家康(イメージ)

……また常に人に御物語ありしは。おほよそ鷹狩は遊娯の為のみにあらず。遠く郊外に出て下民疾苦。土風を察するはいふまでもなし。筋骨労動し手足を軽捷ならしめ。風寒炎暑をもいとはず奔走するにより。をのづから病など起ることなし。その上朝とく起出れば宿食を消化して。朝飯の味も一しほ心よくおぼえ。夜中となれば終日の倦疲によて快寝するゆへ。閨房にもをのづから遠ざかるなり。これぞ第一の摂生にて。なまなまの持薬用ひたらんより。はるかにまされりとの仰なり。されば御好の深くおはしませしは。元より遊略に耽らせたまふにもあらず。一つは御摂生のため。一つには下民の艱苦をも近く見そはなし。山野を奔駈し身体を労動して。兼て軍務を調練し給はんとの盛慮にて。かの晋の陶侃といへるが。甓を運びしためしおもひ出ていとかしこし。(中泉古老諸談。)……

※『東照宮御実紀附録』巻二十四

そんな家康の鷹狩り狂いですが、家康には家康の言い分があったようです。

「よいか。鷹狩りは単なる遊びではないのじゃ。ちゃんと実益も考えておる」

では、その実益とはどんなものでしょうか。

(1)遠く外出することで領民たちの視察ができる。
(2)寒い冬も暑い夏も走り回るのでよい運動になり、健康が保てる。
(3)朝早くから運動するので食事が旨く、夜は早く眠くなる。
(4)自然と房事から遠ざかるため、何よりの摂生となる。
(5)なまじ薬を飲むよりよっぽどいい。病気は治療より予防が大事。
(6)何より将兵らの軍事調練を兼ねることができる。

などなど。また(7)狩った獲物は自分たちの食事になる、や(8)地形を知悉することで戦術を立てられる、も忘れてはいけません。

こんなよいことづくめの鷹狩りですから、家康はこよなく愛したようです。

ただ趣味に時間を浪費するのはもったいない。せっかく時間を使うなら、とことん実益を追求しよう……実に家康らしい趣味と言えるでしょう。

※参考文献:

『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション

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