義があればこそ!元人質・徳川家康が自分の経験から語る「人質のとり方」とは?
戦国時代、人質の身分から天下人にまで上り詰めた、ご存じ徳川家康。
幼少期から青年期まで、10年以上にわたる人質生活を送ったことによって、人間の様々な面を学習したことでしよう。
今回はそんな家康が語る「人質のとり方」を紹介。自分自身が人質にとられた経験があるからこそ、人質の効果的なとり方を心得ていた家康。その教訓は、現代にも応用できるかも知れませんね。
人質の効果的なとり方とは?
たっぷり可愛がらせてから、引き裂くのが効果的ではあるが……(イメージ)
……人質をとるも。あまり久しくとり置ば。後には親子夫婦の親愛もはなれてかへりて詮なし。元より主へつかへ忠義を專ら主と心にかくるものは。親子にも思ひかゆるものなり。故に常々よく志たしませ置。時にのぞんで質にとれば。情愛にひかれてすて兼るものなり。……
※『東照宮御実紀附録』巻二十五
【意訳】家臣の離反や謀叛を防ぐために、その妻子を人質をとるのはよいが、ただとっておけばよいというものではない。
あまりに永く引き離してしまうと、親子や夫婦であっても疎遠になって人質の効果が薄れてしまうものだ。
一方、人質にとられている者たちにしても、永く共にいることでこちらと親しくなり過ぎてしまう。
結構なことではないかとも思うが、それでは人質の意味がなくなり、かえって処刑するこちらの方が精神衛生上よろしくない。
なので人質をとる時は親子や夫婦でよく親しませ、見捨てがたい状況をあらかじめ作ってからとるとよかろう。
具体的には、人質を定期的に交換するなどがよいかも知れんな。
……とまで家康が言ったかどうかはさておき、人質は殺されたくない家族を差し出させる点に効果があるもの。
処刑されたとて惜しくもない者を差し出させたところで、謀叛を防ぐ役には立たないのです。とまぁ、そんなお話しでした。
謀叛を防ぐには、人質よりも義が大事
権謀術数をめぐらす一方、あくまで大義を重んじた?徳川家康(画像:Wikipedia)
されども質のみを頼むべからず。わが義あるをもて。人の不義なるをうたば。石をもてかいこをうつが如しと仰られき。(駿河土産。)
※『東照宮御実紀附録』巻二十五
しかし家康の話には、もうちょっとだけ続きがあるのです。
【意訳】確かに人質は効果的であるが、そればかりに頼るのはよろしくない。
人質よりも謀叛を防ぐ効果があるのは、我が義を天下に示すこと。
義あればこそ背くことは不義となるし、不義の輩に味方する者はそう多くない。
味方が集まらず不利となれば物理的に謀叛を思いとどまるし、謀叛に踏み切ったところでこれを鎮圧するのはたやすかろう。
喩えるなら、石をぶつけて蚕をつぶすようなものじゃ。
……とか何とか。最後の喩えは微妙ですが、確かに義があれば人は従い、義がなければ人は離れていきます。
生き馬の目を抜くような戦国乱世にあって、反復常なき武士たちが心の底で求めていたものを、家康は見抜いていたのでした。
だからこそ、敵からは狸親爺と言われても人は従い、ついには天下をとるに至ったのです。
終わりに
本当は、人質なんかとらなくても家臣たちから心服される主君であるべき(イメージ)
以上、江戸幕府の公式記録『徳川実紀(東照宮御実紀附録)』より、家康の語る「人質をとる心得」を紹介してきました。
家族を殺される人質の恐怖よりも、綺麗ごとであっても義こそが人を結びつけるとの教訓が、現代の私たちにも響くのではないでしょうか。
世が乱れ、人々が義を忘れ去ろうとしていたからこそ、たとえ表向きであっても義を掲げた家康が武士たちの心を惹きつけたのかも知れませんね。
※参考文献:
『徳川実紀 第壹編』国立国会図書館デジタルコレクション日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan