“演歌の女王”激動人生!八代亜紀さんが明かしていた「大ヒット曲『舟歌』と電撃結婚」 (2/2ページ)

日刊大衆

壊れた柱時計の破片が私の背中に当たって〉

■銀座クラブのシンガーに

 それを機に、15歳で上京。音楽学校に通った後、銀座のクラブのシンガーとなる。

「八代さんが歌うとホステスも客も総立ちで踊り始める。そこで初めて、自分のハスキーな声が好きになったそう」(前出の芸能記者)

 1971年にデビューするも、ヒットに恵まれず、全国のキャバレーをドサ回りする日々だった。

「トランクにレコードを詰めて店を歌い歩き、手はマメだらけでした」(前同)

■『なみだ恋』がミリオンセラー!

 そんな苦労を経て、73年『なみだ恋』がミリオンセラーに。さらに79年、代表曲でもある『舟唄』が大ヒットする。前述の「美女トーク」では、『舟唄』と出会い、それまでプロポーズされても断っていた自身の男性観が変わったと明かしていた。

〈私は結婚したいって気持ちはまったくなかったので、お断りしていたんですよ。“男は悪い”って思っていたくらいなんです。キャバレーで歌っていた頃に、お姉さんたちからずいぶんとひどい話を聞かされて。(中略)この曲で初めて“男心”が分かったんです。男もつらいんだなって(笑)〉

■結婚後、離婚

 その言葉通り94年、44歳のとき、年下のマネージャーと結婚(21年離婚)。

 当時、ハワイでの結婚式を現地取材した、芸能レポーターの城下尊之氏がこう振り返る。

「純白のドレスがまぶしく、八代さんは終始、うれしそう。夜のレストランの食事でも、海辺のツーショットでも、“ええ、いいわよ”と、すべてOKしてくれました。

 ほんの一昨年にも、あの色気たっぷりの歌を披露していたのに。訃報に接して、ものすごく残念ですね」

 思い出だけが、行き過ぎる。

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