身分違いの男女の悲恋…大正時代、伯爵家の娘がお抱え運転手と心中を図った事件「千葉心中」とは?

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身分違いの男女の悲恋…大正時代、伯爵家の娘がお抱え運転手と心中を図った事件「千葉心中」とは?

現代でも、政治家や有名人、芸能人のスキャンダルというのは世をにぎわせますよね。もちろん、悪いことをすればそれ相応のものが自身の身に返ってくるのは仕方がありませんが、報道が加熱したり、SNSでの収まりがつかなくなることもあります。

今回の記事では、大正時代のとある心中事件に迫ってみたいと思います。激動の時代の中、ひとつの価値観が変わるきっかけになった……とも言われているその事件、一体どのようなものだったのでしょうか?

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事件の概要

事件の詳しい背景やその後の影響をご紹介する前に、まずは事件の概要を説明します。事件が発生したのは、1917年(大正6年)3月7日、夕方のことでした。走ってくる電車に向かって、男女が飛び込みました。

男性は軽傷、女性は頭部に重傷をおっていました。男性は土手に行き、短刀で自身の首を突き、亡くなりました。女性は伯爵家の娘である芳川鎌子、男性はお抱え運転手の倉持陸助でした。

翌日に新聞が報道!

現代でもニュースの速報性は重視されますが、当時も同じだったようです。事件翌日の3月8日には、東京朝日(東朝)新聞が事件を報じています。

その時点では2人の身分はわかっていませんでしたが、その後すぐに2人の身分や関係性を明らかにしました。他の新聞社も事件を報じ、報道が過熱しました。

「鎌子式」「鎌子コンプレックス」「運転手にご注意」などの流行語も生まれたとか。

2人はなぜ心中しようとしたのか?

そもそも、2人が心中に至った経緯はどのようなものだったのでしょうか。芳川鎌子は伯爵家の娘で、曾禰荒助子爵の次男・寛治を婿に取り、娘もいました。

しかし、寛治は遊び人で、妾宅も持っていたとか。鎌子は次第にお抱え運転手と深い仲になっていきました。

父と夫に関係を知られてしまった鎌子は軟禁状態に。運転手は解雇されました。その後、駆け落ちを決意したのです。

事件の影響

事件で加熱したのは、報道だけではありませんでした。事件を基にした小説、芝居、映画、流行歌などが作られました。

また、平塚らいてうなどの識者も事件の是非を論じました。平塚は、雑誌に「上流貴族社会の人々を目覚めさせる一つの機会を与えた」と書いており、前向きな姿勢が見られます。

いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。

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