「横浜中華街」は幕末に誕生した!関帝廟4代の歴史と御祭神・関羽の生涯をたどる

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「横浜中華街」は幕末に誕生した!関帝廟4代の歴史と御祭神・関羽の生涯をたどる

神奈川県横浜市の三大名所と言えば、中華街・みなとみらい・赤レンガではないでしょうか(諸説あり)。

その横浜中華街の中心地に鎮座する関帝廟(かんていびょう)には、商売の神様として有名な関羽(かん う。字は雲長)が祀られています。

関羽は古代中国に実在した武将で、信義に厚かった事から、死後に商売の神様「関聖帝君(かんせいていくん。略して関帝様)」となったのでした。

商売には何より信義が大切(切実)ですからね。現代でも、中国人のコミュニティには、たいてい関帝廟が祀られています。

さて、そんな横浜関帝廟はいつから建っているのでしょうか。今回は横浜関帝廟の歴史をたどってみたいと思います。

横浜関帝廟の歴史は幕末から

関帝廟の御本尊・関聖帝君(関羽)。両脇には関平(右)と周倉(左)が近侍している。画像:Wikipedia(撮影:Zairon氏)

横浜関帝廟は明治4年(1871年)に建立されました。ただしその前身となる小さな祠は文久2年(1862年)から建っていたそうです。

横浜中華街そのものは安政6年(1859年)の横浜開港にともなってできた外国人居留地が原型と言われ、西欧列強に雇われていた清国人がコミュニティを形成していきます。

異郷の地に生きる彼らの精神的支柱として、関帝廟は大きな役割を担ったことでしょう。

それが大正12年(1923年)の関東大震災で倒壊してしまいます。やがて再建されたものの、今度は昭和20年(1945年)の横浜大空襲(米軍による無差別爆撃)によって再び焼失してしまったのでした。

再建された三代目の関帝廟は昭和61年(1986年)の不審火によって焼失してしまいます。

それでも平成2年(1990年)に四代目関帝廟が復活。多くの人々から崇敬を集めて今日に至るのです。

横浜関帝廟の略年表

現代の関帝廟。多くの崇敬者や観光客で賑わう。筆者撮影

安政6年(1859年) 横浜開港・外国人居留地が誕生する 文久2年(1862年) 関聖帝君の小さな木造を祀る小さな祠が建立される 明治4年(1871年) 初代関帝廟が建立される 明治19年(1886年) 関帝廟が拡張される 明治24年(1891年) 関帝廟が改築される 大正12年(1923年) 関東大震災により関帝廟が倒壊する 大正14年(1925年) 2代目関帝廟が再建される 昭和20年(1945年) 横浜大空襲により関帝廟が焼失する 昭和22年(1947年) 3代目関帝廟が再建される 昭和61年(1986年) 不審火により関帝廟が焼失する 平成2年(1990年) 4代目関帝廟が再建され、今日に至る

御祭神・関羽の生涯

関羽。真っ赤な顔と立派なヒゲ、そして青龍偃月刀がトレードマーク。筆者撮影

関帝廟の御祭神となっている関羽は生年不詳。ただし横浜関帝廟の公式見解では後漢王朝の延熹3年(160年)生まれとなっています。

その出自は定かでないものの、生まれは河東郡解県。現代の山東省運城市塩湖区解州鎮常平村にあたる地域の出身です。

若い頃から義侠心にあふれ、腐敗した役人を殺して故郷を飛び出したとか。様々な伝承が残っているため、はっきりしたことは分かりません。

中平元年(184年)に黄巾党の乱が勃発すると、義勇軍として旗上げした劉備(りゅう び。字は玄徳)と張飛(ちょう ひ。字は益徳)の三人で義兄弟の契りを結び、義長兄の劉備に終生の忠義を貫きました。

トレードマークは真っ赤な顔に立派なヒゲ。特に鬚(あごひげ)と髯(ほおひげ)をたくわえていた事から、人々は関羽を美髯公(びぜんこう)と呼び讃えます。

また武勇にもすぐれ、冷艶鋸(れいえんきょ)と名づけた青龍偃月刀(大薙刀の一種)を奮って多くの敵将を屠り去ったとか(ただし武器については後世の創作との説も)。

養子の関平(かん ぺい)や忠臣の周倉(しゅう そう。周蒼とも)らと共に数々の武勲を立て、劉備の天下獲りに貢献した関羽。

現代の関帝廟でも、堂々と鎮座する関聖帝君の両脇に色白な関平、そして色黒な周倉が控えています。

しかし敵の謀略に陥って建安23年(219年)に非業の死を遂げてしまったのです。人々はその遺徳を讃え、あるいは怨霊を鎮めるために神として祀ったのでした。

終わりに

関羽の義弟・張飛。関帝廟の案内書きに「三国志 金運」とダイレクト過ぎるキャッチコピーが人目を惹く。筆者撮影

以上、横浜関帝廟の歴史と御祭神・関羽の生涯をたどってきました。

ちなみに商売の神様として祀られるだけあって、算盤(そろばん)や大福帳(だいふくちょう。現代の単式簿記)の発明者とも言われているそうです。

信義誠実を旨として生涯をまっとうし、弱い者の味方であった関羽は、世界中の人々から尊敬を集めています。

遠く海を隔て、また千数百年の歳月を隔てていても、英雄をリスペクトする人々の気持ちは変わることがありません。

もし横浜中華街を訪れることがありましたら、ぜひ関帝様にも詣でて頂けたら嬉しいです。

※参考:

横浜関帝廟-横浜中華街・関聖帝君を祀る廟

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

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