八代亜紀、石川さゆり、小林幸子…演歌の女王13人「歌・恋・人生」感涙メッセージ

日刊大衆

写真はイメージです
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 きらびやかな舞台の裏側で、人目を忍び苦労を重ねてきた歌姫たちの秘めた思いとは?

 歌手やミュージシャンの訃報が相次いでいるが、昨年12月30日日に亡くなった八代亜紀さん(享年73)の死にも、大きな衝撃が走っている。

 生前の八代さんは、本誌にたびたび登場して、歌や恋について語ってくれた。あの心を揺さぶる歌は、豊かな人生経験を背景にしたものだったのだ。これは、他の歌手たちも変わらない。

 そこで今回は、歌で日本を元気にしてきた演歌の女王たちが、本誌で明かしたエピソードや、意外なホンネを紹介したい。(以下、一部敬称略)

■『舟唄』との出会い

「スターをしているからには、やっぱり何もかもオープンにしちゃダメね」

 八代さんは、本誌1995年11月13日号で、芸能活動を続ける秘訣をこう語っていた。ところが、取材への対応はいつも気さくで、本誌2019年9月16日号では、男性観の移り変わりを語っている。

「以前は“男は悪い”って思っていたくらいなんです。キャバレーで歌っていた頃に、お姉さんたちからずいぶんとひどい話を聞かされて、“女を泣かせるなんて”って……」

 そんな考え方を改めたのが、ある歌だったという。

「やっぱり『舟唄』との出会いが大きかったですね。この曲で初めて“男心”が分かったんです。男も辛いんだなって(笑)」

 今も歌い継がれる『舟唄』の、男性視点でつづられた歌詞が、思いがけない変化をもたらしたのだ。

「八代さんが野外でのロックフェスに出演したとき、『舟唄』は若い音楽ファンのハートをワシ掴みにしました。世代を超えて訴えかけるものがあるんですね」(音楽雑誌編集者)

■NHK紅白歌合戦で『津軽海峡・冬景色』

 世代どころか国境を越えたのが石川さゆり(65)だ。昨年末の『NHK紅白歌合戦』で、ウクライナの民族楽器とのコラボによる『津軽海峡・冬景色』を披露した石川は、本誌94年5月16月日号に登場。恋愛観をセキララに語った。

「あっちもこっちもとか、そういうのできない。どっぷりつかっちゃって、すごく尽くしちゃうんですよ」

■男女の情念がこもった名曲『天城越え』

 また、本誌92年1月6・13日合併号では、男女の情念がこもった名曲『天城越え』について、こう述べている。

「幸せの絶頂の頃……だから逆に演じきれたのね。ドロドロだったら、きっと演じられなかった」

 楽曲に恵まれた石川さゆりだが、男性関係では苦労続きだった。

■W不倫、離婚も

「惚れっぽいというか、男運がなかったというか。若いときにマネージャーと結婚して一児をもうけましたが、音楽プロデューサーとのダブル不倫もあって離婚しました。その後、九州の実業家と付き合いましたが、金銭トラブルに巻き込まれてしまいます。華やかなステージの裏で、苦労をしてきたんです」(芸能レポーターの城下尊之氏)

 私生活では重荷を背負ったが、『紅白』には通算46回出演しており、紅組の歌手として最多出場を果たしている。

■伍代夏子は杉良太郎とアツアツぶり

 一方、順調な結婚生活を送っているのが、『忍ぶ雨』で知られる伍代夏子(62)だ。本誌2002年5月13・20日合併号で、夫の杉良太郎とのアツアツぶりを告白した。

「(一緒にお風呂に)入らない日はない。いっつも一緒」

 幸せな夫婦生活が、彼女の歌に艶つやを持たせているのは、言うまでもない。

「伍代さんの実家は鮮魚店で、魚料理がものすごく上手らしいです。それで、モテモテだった杉良さんに、手料理をふるまって、うならせました。料理以外でも、身の回りの世話に気遣い、前妻と別居同然だった杉良さんを離婚させて、再婚にいたりました。その世話女房っぷりのよさが、伍代さんの歌手人生を支えてきたんでしょうね」(前出の城下氏)

■スキャンダルもあった藤あや子

 1992年に『こころ酒』のヒットでスターの仲間入りをした藤あや子(62)は、妖艶な魅力をふりまいてきた。

「20歳の頃に結婚歴があり、その後は不倫スキャンダルもありました。現在は24歳年下の方と結婚。一昨年のデビュー35周年記念の写真集では、大胆な黒いビキニ姿を披露しました」(芸能記者)

 “魔性の女”のイメージを持つ彼女だが、本誌99年1月25日号では、こう語っていた。

「(キティちゃんのぬいぐるみと一緒に)寝てますよ(笑)。抱き枕がわりに」

 こうした絶妙なギャップに、男は惑わされるのかもしれない。

■億単位の豪華な舞台セットや衣装

 一方、ギャップどころか強烈なインパクトで、世間をアッと言わせてきたのが小林幸子(70)だ。そのエンターテイナーとしての覚悟を、本誌92年8月24・31日合併号の美川憲一との対談で明かしている。億単位ともいわれる豪華な舞台セットや衣装について、

「お金かければかけただけのことはあるって」

 リスクを恐れず、突き抜けたことをやることが、次の仕事につながっていったというのだ。

「大がかりな衣装が、テレビゲームの“ラスボス”のイメージであることから、若者にも支持されるようになりました。今では、アニメソングも歌い、ラスボスキャラでの仕事も充実。公式ユーチューブの再生回数は相当なものです」(城下氏)

■『おもいで酒』が売れるまで不遇時代

 ただ、そんな小林にも、『おもいで酒』が売れるまでに長い不遇時代があった。歌謡曲の中古レコード蒐集家という一面を持つ、歌手・芸人のタブレット純氏は、こう言う。

「お会いしたとき、僕が持っていた小林さんの下積み時代のレコードを、何枚かお見せしたんです。その中に『青い太陽』という、中学生時代の小林さんが主演したドラマの、主題歌シングルがありました」

 手元にないという小林に、タブレット純氏がレコードをプレゼントしたところ、とても喜んだという。

「しばらくして、小林さんからていねいな直筆のお礼状とともに、『幸子米』という新潟のお米が届いたんです。おいしかったですよ」(前同)

■ギャンブルの腕を磨いた瀬川瑛子

 瀬川瑛子(76)にも苦節の時期がある。70年の『長崎の夜はむらさき』以降は、15年にわたって売れなかった。

「瀬川さんは、麻雀とパチンコがお好きなんですが、ヒットに恵まれず、全国のキャバレー回りをやっていた頃に、セミプロ級の腕前を身に付けたんだとか」(城下氏)

■人生を変えた大ヒット曲『命くれない』

 そんな人生を変えたのが大ヒットした『命くれない』だが、本誌91年8月19日号で、瀬川はこう語っている。

「ちょうど私生活で別居したとき、それまで悲しいオンナばかり歌ってきたのに、初めて夫婦愛の歌を頂いたんですね(笑)」

 複雑な思いだったはずだが、それを情感込めて歌ったことで、代表曲に仕上げたのだ。

■ブレイクまで時間がかかった川中美幸

 川中美幸(68)もブレイクまで時間がかかった一人だ。1973年、『春日はるみ』の芸名でデビューしたが、不発だった。

「同期デビューには、山口百恵桜田淳子がいます。アイドル全盛期に、地味な演歌を歌う17歳には、出番がなかったんです」(前出の音楽雑誌記者)

 その頃を振り返って、川中は本誌93年3月1日号でこう語っている。

「『新宿天使』という曲名にちなんで、夜の新宿をキャンペーンであちこち歩きましたけど売れなかった。結局、2曲でギブアップして、大阪へ帰って母のやっていたお好み焼き屋を手伝いました」

 その後、再デビューの機会を得て、『ふたり酒』をヒットさせた川中を、「とても気さくで、母親思いなんです」と言う、前出のタブレット純氏は、こう続けた。

「お母様を大阪から東京に呼んだ川中さんは、渋谷で新しく開いたお好み焼き屋さんを任せていました(現在も営業中)。実は、そのお店でライブをやらせていただいたことがあります。最後に川中さんも歌われたんですが、90代になったお母様の手を取り、歌いながら涙を流していたのが印象的でした」

 胸に込み上げるものがあったのだろう。

■坂本冬美は作曲家の猪俣公章と対談

 坂本冬美(56)は、本誌91年2月4日号で、師である作曲家の猪俣公章と対談し、『祝い酒』『男の情話』のヒット以前、レコード店回りをしていた頃の思い出を語った。

「歩いている人の足を止められないのは、私の歌に魅力がないからなのかと思うと、悔しくて泣きながら歌ったこともありました」

 ちなみに、デビュー当時の彼女は、キャンペーンの一環として、本誌編集部を訪問したこともあった。タブレット純氏は、坂本にも自身のコレクションから、珍しいレコードを見せたことがあるという。

■亡き師匠の声に涙

「猪俣さんが、ダン池田さん、放送作家の塚田茂さんと『うらかたトリオ』というユニットで出された『男のみち』というシングル盤をお見せしました。“ぜひ、聴いてみたい”とのことなので、お聴かせしたら、“確かに師匠の声だ”とポロポロ涙を流されたんです」

 亡き師への思いの深さに、タブレット純氏ももらい泣きしたとか。

 人情味あふれる言葉やエピソードを残してくれた演歌の女王たち。そんな彼女たちの名曲の数々は、いつまでも日本人の心を震わせ続けるだろう。

【画像】まだある!演歌の女王感涙語録

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