ヒール役全開な藤原道兼、実は結婚していた!妻の藤原繁子とはどんな女性なのか?【光る君へ】
第1回放送「約束の月」時点では、妻がおらずマザコンをこじらせていた藤原道兼。
その後も妻をめとった様子は描かれていないものの、公式サイトの人物相関図を見ると、妻がいるではありませんか。
道兼の叔母に当たる、藤原繁子(はんし/しげこ)です。
兼家の妹/懐仁親王の乳母
藤原 繁子(ふじわらのしげこ)
山田 キヌヲ(やまだ・きぬを)藤原兼家の妹。兼家の娘・詮子が懐仁親王(やすひとしんのう)を出産すると、乳母(めのと)に任じられた。
※NHK大河ドラマ「光る君へ」公式サイト(人物紹介)より
言われてみれば、懐仁親王(のち一条天皇)の乳母として、特にセリフがなくてもそばにいますね。
それにしても、いつの間に結婚していたのでしょうか。公式サイトの紹介文を、ちょっと直してあげても良さそうなのに……。
という訳で今回は、存在感がない?藤原繁子について紹介。果たして彼女はどんな女性で、どんな生涯をたどったのでしょうか。
清少納言も羨んだ?その生涯は藤原繁子は生年不詳、藤原師輔の娘として誕生しました。姪の藤原詮子が円融天皇に入内すると、女房として仕えます。
やがて天元3年(980年)に詮子が懐仁親王を産むと、その乳母に任じられました。
この時、橘徳子(たちばなの とくし/のりこ。藤原有国室)も乳母となっており、二人の人間関係も気になるところです。
甥の道兼と結婚した時期については不明ですが、永観2年(984年)に長女の藤原尊子(そんし/たかこ)を産んでいるため、この数年前以内と考えられます。
しかし道兼との結婚生活は永く続かず、正暦3年(992年)には右大臣家の家司である平惟仲と再婚しました。
のち尚侍(ないしのかみ)となって従三位に叙せられた繁子は、娘の尊子を一条天皇に入内させます。母として、これほどの喜びはなかったでしょう。
また姪孫である藤原彰子(しょうし/あきらこ。道長の娘)が一条天皇の中宮に立てられた時は理髪係を務めました。
やがて寛弘2年(1005年)3月14日、夫の惟仲に先立たれると好明寺(※)に隠棲。その菩提を弔う日々を送ります。(※)惟仲の菩提寺と思われるが不明。
甥の道長からは慕われており、その晩年まで手厚く扱われたのでした。
その様子は清少納言は随筆『枕草子』で「羨ましげなるもの(第151段)」の一つ(内裏・春宮の御乳母)に挙げるほどだったそうです。
晩年の女性にとって、有力者の庇護ほど心強いものはなかったことがよく分かります。
藤原繁子の没年は不詳。夫の後を追うように、静かな最期を迎えたことでしょう。
終わりに以上、藤原繁子の生涯を駆け足でたどってきました。
懐仁親王の乳母として、いつも静かな存在感を放っている彼女ですが、これから道兼や惟仲との結婚生活は描かれるのでしょうか。
これからも、山田キヌヲの好演に期待しています!
※参考文献:
『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞社、1994年10月トップ画像 左:「光る君へ」公式サイトより
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