紫式部の父・藤原為時とも交流を?平安時代に大陸から渡来した商人・朱仁聡とは【光る君へ】 (2/3ページ)
「ならば、我が家臣が越前守に任官する予定だったので、それと入れ替えましょう」
これで為時は越前守になったのですが、かわいそうに、その家臣はショック死してしまいました。
だから最初から為時と朱仁聡を交流させたかったというより、「せっかく越前に赴任するなら、宋の商人と交流させたら面白いかもね」程度の話だったのかも知れません。
記録された二度のトラブル
さて、しばらく越前にとどまった朱仁聡。しかし長徳3年(997年)10月28日に若狭国で暴力事件を起こしたそうです。
何でも若狭守である源兼澄(みなもとの かねずみ)に対して凌轢(りょうれき。暴行)を働いたのだとか。
翌11月11日に取り調べを受けたのですが、厳刑に処された様子はありません。外国人と事を荒立てたくない当局の忖度かも知れません。
また、長保2年(1000年)には越前国へ献上した雑物の代金未払いで訴訟を起こしています。
当時は献上品を買い取る制度があったのでしょうか。現代的な感覚だと不思議ですね。
これに対して、一条天皇の皇后・藤原定子から対処するよう同年8月24日付で指示があったといいます。
朝廷の耳に入るほど大事(おおごと)だったとは、朱仁聡がよほどの大人物だったのか、あるいは要注意人物だったのでしょうか。
以降の動静について、詳しいことは分かっていません。大陸に帰ったのか、それとも日本の地でなくなったのか。