あまりに残酷すぎる…腹を切りフランスに内蔵を投げつけるなど狂気に満ちた切腹が行われた「堺事件」とは? (2/4ページ)
驚いた土佐藩兵は咄嗟に発砲してしまいます。このことが引き金となり、和泉国堺栄橋通・旭町(現・大阪府堺市堺区栄橋町・大浜北町)一帯で銃撃戦が勃発。土佐藩兵がフランス水兵を射殺または、海に落として溺死させたことで「堺事件」へと発展したのです。
事件後事件後の聞き取り調査では、日本側とフランス側で主張が大きく食い違っていました。
堺の港にフランスの主要艦隊が勢ぞろいしていたこともあってか、フランス側は本事件において一切の非を認めず強気な姿勢。一方の日本政府は戊辰戦争で主要戦力が関東や東北に出払っていたため、開戦しても勝てる見込みがなく本事件の非を受け入れるほかありませんでした。
結果として、賠償金15万ドルの支払いと発砲した約20名の処刑などすべての主張を飲むことになります。