直秀ら散楽一座を斬った「検非違使(けびいし)」とは何?発祥から衰退までの歴史をたどる【光る君へ】 (3/3ページ)

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庁例とは検非違使庁における先例、すなわち慣習法です。

朝廷とは別のルールを作って守らせ、これを朝廷が黙認せざるを得なかった辺り、検非違使がいかに強大な存在であったかが分かります。

しかし驕れる者は久しからずとはよく言ったもの。平安時代末期に入ると、検非違使は斜陽を迎えるのでした。

平安時代が終わり、衰退する検非違使

御所を警固する武士たち。『平治物語絵巻』より

摂関政治が終わりを告げ、院政期(平安末期~鎌倉時代初期)に入ると、皇室では自前の軍事組織・北面武士(ほくめんのぶし)を創設。検非違使の権限を奪いとり始めます。

これまで朝廷としても便利に使ってきた検非違使ですが、強大化のあまり制御出来なくなりつつあったため、力を削りたかったのでしょう。

やがて鎌倉幕府が京都に六波羅探題(ろくはらたんだい)を設置すると検非違使の力は更に削られていきます。

そして室町幕府が成立し、京都に武家政権がやって来ると検非違使の役割はほとんど侍所(さむらいどころ)に奪われてしまったのでした。

かくして有名無実化していった検非違使。その活動が最後に見られるのは南北朝時代の至徳年間ごろ。

500年以上の永きにわたった検非違使の歴史は、誰知るとなくひっそり幕を下ろしたのです。

終わりに

以上、平安時代から南北朝時代にかけて活動した検非違使の歴史を紹介してきました。

NHK大河ドラマ「光る君へ」でも、物語を彩る平安要素として、検非違使たちが荒っぽく活動しています。

平安時代と言えば検非違使。やんごとなき貴族たちの引き立て役となりがちな彼らですが、これからも活躍が楽しみですね!

※参考文献:

和田英松ら『新訂 官職要解』講談社、1983年11月

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