反乱を次々と予言!陰陽師にして公卿の地位にまで昇り詰めた安倍晴明の子孫「安倍有世」
盛り上がりを見せている2024年の大河ドラマ『光る君へ』。その初回は、陰陽師である安倍晴明のシーンから始まり、大きなインパクトを残しましたよね。
藤原道長とのかかわりもあったとされることから、この後も長くドラマには登場するのではないかと考えられます。そんな安倍晴明は陰陽師の代名詞とも言える存在ですが、彼の子孫についてはあまり知られていないのではないでしょうか?
そこで、今回の記事では、安倍晴明の14代目の子孫である安倍有世(あべのありよ)について詳しく紹介します。
公卿・陰陽師として、彼もまたとある歴史上の有名人物と深い関わりがありました。
安倍有世とは?安倍有世(あべのありよ)は、南北朝時代から室町時代にかけて活躍した公卿であり、陰陽師です。有名な陰陽師・安倍晴明の14代後となります。
陰陽師というと、どうしても平安時代のイメージが強いかと思いますが、南北朝時代には安倍氏も一族で分裂が見られていました。一族の中で宗家争いが起こっていました。
安倍有世は、1327年(嘉暦2年)に生まれたとされています。一族のなりわいである陰陽道で若いころから才能を発揮しました。
ちなみに、安倍有世は陰陽師で初めて公卿になった人物でもあります。
安倍有世はわずか3年で陰陽頭を退任させられた!?若いころから才能が見られた安倍有世は、1355年(正平10年/文和4年)には、29歳で陰陽師らを率いる陰陽頭に抜擢されます。
しかし、なんと3年という短い期間で退任させられてしまいます。これは、彼の実力というよりも、先ほどもご紹介したような一族のあいだでの権力争いが理由だと考えられています。
実際、安倍有世は1354年(正平9年/文和3年)に、後光厳天皇の大嘗祭で、由緒ある吉志舞の奉行に命じられました。これは安倍氏の氏長者だけが許された職務だったのですが、この決定に対してそれをよく思っていなかった安倍氏の他の諸流からは多くの強い抗議があがったと言われています。
安倍有世を重用した人物とは?それでも安倍有世はあきらめず、研鑽を続けていきます。そんな彼に、とある出来事が起こります。それは、室町幕府の3代将軍・足利義満に対して祈祷を行った際、効果が出たということで、義満から信頼され重用されるようになるのです。これは、安倍有世が52歳のときのことでした。
それからというもの、安倍有世はどんどんと立場が上がっていきます。一説によると、有世は「明徳の乱」と「応永の乱」を予言したのだとも言われています。ただし、この予言については懐疑的な意見も見られます。
その後、安倍有世は1405年(応永12年)に、79歳でなくなりました。
いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
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