NHK大河ドラマ『光る君へ』藤原摂関家の祖、藤原鎌足「なぜか官位が不当に低い“大化の改新”の功労者」 (2/2ページ)

日刊大衆

彼は、刺客や中大兄が入鹿殺害に失敗したら矢で入鹿を射殺すつもりだとされているが、逆に、刺客や中大兄を射殺し、入鹿に取り入ろうとする狙いがあったともいわれる。

 つまり、通説の彼の活躍には粉飾の疑いがある。鎌足の子の不比等の時代になって藤原氏が栄えるのは事実で、通説でいう鎌足の活躍の多くは、勝者側の歴史書である『日本書紀』、不比等の孫にあたる藤原仲麻呂が書いた『大織冠伝』によっている。

 ただし、「中臣」には天皇家と神の間を取り持つ臣という意味があり、中臣氏はもともと神職をもって朝廷に仕える家だったものの、そういう立場に満足できない鎌足が中大兄に近づき、クーデター後、その秘書的役割を果たして成り上がっていったのは事実だろう。

 だからこそ、天智天皇八年(669年)、死に際して大織冠(官位の最上位)の地位と藤原の氏を賜ったと『日本書紀』に記載されるに至るのだ。

 その藤原は中臣一族の本拠があった大和国藤原(奈良県橿原市および明日香村の両説)の地名にちなむとされる。

 果たして彼が次世代で藤原氏が活躍する土台を築いたといえるのか。引き続き次号で検証していこう。

跡部蛮(あとべ・ばん)歴史研究家・博士(文学)。1960年大阪市生まれ。立命館大学卒。佛教大学大学院文学研究科(日本史学専攻)博士後期課程修了。著書多数。近著は『超新説で読みとく 信長・秀吉・家康の真実』(ビジネス社)。
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